俺は田舎に住んでるから頻度は少ないのかもしれないけれど、
もう、日本語か英語か、あるいは他の言語か、みたいな解りやすい腑分けじゃなくてもいいのかもい知らないと思った。
ちゃんぽんで話すし、ちゃんぽんをちゃんぽんと思わない人も出てくることだろう。
スキー場のリフトとかでたまたま一緒になった外国人と「適当」なちゃんぽん言語で会話するような、そんな社会が来るんだろう。
もちろん日本語の変化や固有性の経過は記録されていくべきだけど、もっとマージナルな世の中になっていく。
もう都会とか日本人観光客の多いところではなっているのかもしれないけれども。
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