新潮45も千田氏も、本当に言論や議論の価値を信じているのなら逃げるべきではなかった。
新潮45は反対意見を自ら誌上に載せるべきだった。
千田氏は有象無象に反論するのは無理でも、一人を選んで対談するなどの方法をとれば、論を深めることができた。
俺は放言するなとは言わない。だがそれならば、言論の自由や公共圏のような自分で実行出来ない大義を掲げるべきではなかった。
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