「ふさわしい」「ふさわしくない」を、誰でも全く同じように判断できる客観的な基準を定めてからお願いいたします
それは社会の移り変わりによって変化するものなので、 否定派も賛成派もともに声を上げることが必要なのです。 それによって妥当な点を探ることが大切です。
社会の移り変わりによって変化するものなので 変化したら、また改めて別の基準を作ればいいだけです ある一定の時点においては常に「その基準を用いれば誰が判断しても同じものは...
元々 「その基準を用いれば誰が判断しても同じものは同じ判断になる」 というのは難しいですが、 現実のドレスコードは一つの基準になるでしょうね。 全員が一致するものではない...
ある程度のコンセンサスが得られている かどうか評価するために客観的な基準が必要です。 「無作為抽出でN人以上にアンケートをとってX%以上」とか
いちいち表現物を公開するたびにそのようなアンケートを取るのが現実的だとは思いません。 また、差別に関するものなどは、多数決で決めてしまうとマイノリティを守ることが難しく...
ある程度のコンセンサスが得られている 多数決で決めてしまうとマイノリティを守ることが難しく ええと、コンセンサスとは「複数の人の合意や意見の一致」ですから、 社会的に...
社会には、それより前に、 差別はいけないというコンセンサスが上位にあります。
差別かどうかは、マジョリティかマイノリティかで決まるものではないので、今回の議論に無関係ですね
そうですね。コンセンサスという語は使い方を誤っていました。撤回します。すみません。 しかし、その都度、妥当な点を探りながら調整していくべきという考えは変わりません。 そし...
つまり公権力が規制するのはダメだけど自分らが吊るして糾弾する分にはいくらやってもOKと
そうですね。糾弾も込みで表現の自由です。
? 法的な規制、公権力による圧力でないのなら、批判したいものは好きに批判したらいいと思いますよ 調整の必要さえありません それぞれの表現者が、法律に反しない範囲で自分が良...
大元の増田が フィクションの女性に難癖つけるのが現実の女性。 自分たちだけ許される訳がない。 から発生したツリーですので、そちらの意見には全面的に同意します。
現実のドレスコードと同様に、ある程度恣意的な判断の余地があっても問題はないと思います。 批判、賛成、それに対する対応の積み重ねが、時代のコンセンサスを形作ります。 逆に一...
現実のドレスコードと同様に、ある程度恣意的な判断の余地があっても問題はないと思います。 いえ、恣意的な判断が可能だと、特定の集団が、これを棍棒にして自分が気に入らない...
規制ラインを作って、そこに該当しない表現であったとしても、問題があると感じて抗議する人はしますから、 あまり意味があるとは思えません。 下手すると、抗議のたびに、さらに規...
コンテクストによっては許容されるべき表現すら不可能になる場合も有り得ます。 表現者自身の倫理観が常に問われるのは、当然のことではないでしょうか。 制作当時ないし発表当...
刑罰法規不遡及の原則がありますから、当時問題がなかったものが遡及的に処罰の対象になることはありえません。
客観的な評価基準がなく、恣意的に運用可能であれば、後になってから、当時も倫理観に反していたことにして処罰することが可能になってしまいます
一般市民の抗議に処罰の権限はありませんから杞憂だと思います。
権限がなかろうがどうだろうが実際問題、経営上の判断がそいつら次第で覆るくらいのパワーは持っているわけで
ですから、私的な批判でしたらご自由にされたらいいと思いますよ 批判に対してさらなる批判を受けることも込みですけれども "規制"するのでしたら、客観的な基準が必要ということ...
現代のポリコレで古典を撤去した例はもうある。 https://togetter.com/li/1195816 ご存知、ないのですか?
うんこ
うんこ