■嚢中の錐
紀元前259年、秦軍は更に趙の首都・邯鄲を包囲した。
平原君は救援を求めるために楚へと赴いた。この時に客の一人の毛遂と言う者が同行したいと名乗り出てきた。
平原君は「賢人と言うものは錐を嚢中(袋の中)に入れておくようなもので、すぐに袋を破って先を出してくるものです。
先生が私の所へ着てから3年になるが、評判を聞いていません。お留まり下さい。」と断った。
毛遂はこれに「私は今日こそ嚢中に入りたいと思います。私を早くから嚢中に入れておけば、先どころか柄まで出ていましたよ。」と答え、
この返答が気に入った平原君は毛遂を連れて行くことにした。
これが「嚢中の錐」の原典である。
これって、嚢中の錐を使った方が論破されてるよね。
なんで論破されてしまった言葉が故事成語と残ってしまったのか。
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