いらないよね、そんなもの。
同情される人は救われてもいいとか、かわいそうじゃなくちゃ救われてはいけないとか、そんなのないと思う。悪人だって救われていい。
助けて欲しいって言えない人だって、助けられていいと思う。
でも、助けられているのにそれを信じられない人はどうしたらいいんだろう?救われているのに、それがわからない人はどうしたらいいんだろう?
助けを信じられない人や救いがわからない人が悪いとは思わない。その人はその人なりの何かがあって、助けを信じられなかったり救いがわからなかったりするんだと思う。
けれども、助けたり救ったりする側がその人の考えまで変えることはできるのだろうか?それはできないと思うし、仮にできたとしたら洗脳だと思う。
あなたを助けました、救いました、助けられたと思ってください、救われたと気づいてください、それはなんか変だと思う。
だから結局は、助けられたり救われたりする側が、助けられた、救われたと思えるまでは、本当に助けられることも本当に救われることもないのだろう、と思う。
そしてこう思うと、助けたり救ったりする側ができることっていうのは、実は本当にちっぽけなものなんじゃないかな、とも思う。
本当に助けられたり救われたりした人は、他の人からの働きかけがきっかけだったのかもしれないけど、自分で助けや救いを掴んだんだ。
だから、誰も本当の意味で人を助けることや救うことはできない。誰も本当の意味で人に助けられたり救われたりすることはない。