織田信長は実は本能寺以降も生きていたなどの突拍子の無いものや
国同士の歴史認識の違いのような大それたものではなく、
西郷隆盛の普段私達が見ている肖像画の顔とは違う、ですとか最近ですと井伊直虎は男性だったなど。
実際に会えるわけでもないし真実を確認することなんてできないわけで、どう伝わっていったのかも含めて歴史だと思います。
真実を知るのも結構ですが例え間違っていたとしても長い時代を巡り巡って今の形になったことも含めて「歴史」のような気がします。
Permalink | 記事への反応(1) | 15:44
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真実が全てで偽りの歴史は破棄しろなんて誰も言ってないし、 そもそも、やっぱり西郷の顔はあんなんだった、やっぱり直虎は女だった、 って説が普通に盛り返してきてもおかしくない...
いや偽りの歴史は破棄しろよ。 そのうえで、歴史からは主観を排除しろ。あるのは事実のみだ。
二次史料三次史料で誤りを多く含むとされるものでも 「なぜそのような記述になったか」から史実を探ろうとすることは普通にあるよ。