2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170209090243

大自然の中、日常が常に死と隣り合わせたった時代を経て、数千年。

人は遂に、常に柵の中に身を置かねば、安全が確保出来ないと主張するに至る。

アメリカでは訴訟されると言うが、

その程度のことで、裁判にならない社会を維持すべきではないだろうか?

安全自分で守る。基本的な事だと思う。ガードレールはともかくホーム柵の必要性は感じない。

揺りかごから墓場まで、柵の中で暮らすのが理想なのだろうか?

老人Zかよ

記事への反応 -
  • ガードレールのない歩道、路側帯 ホームガードのない駅ホーム 設備投資するぐらいなら死ねというのが日本 アメリカなら企業側が訴えられる

    • 大自然の中、日常が常に死と隣り合わせたった時代を経て、数千年。 人は遂に、常に柵の中に身を置かねば、安全が確保出来ないと主張するに至る。 アメリカでは訴訟されると言うが、...

      • 両の目を失い、徒歩で幹線道路を歩く歩行者。 彼等弱者の事をなぜ考慮できない? 金持ちは移動がタクシーだから、こう言ったことには無関心なのだろうか。

        • 弱者に優しい社会は大事ですが、弱者の為に過剰な設備を強いようと言うのが理解できない。 自己防衛の能力の大事さは、障害者の方が十分わかっているはず。 安全の確保は己れの責任...

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