例えば、「私は新聞を読む」というひとの中にも、
中には隅々まで読むひともいるだろうけど、
たいていの人は、興味のある分野とか、気になった見出しだけを読む。
それで十分、「私は新聞を読む」と公言していい条件はそろっている。
雑誌もそう。
でも、こと本になると、なぜか、頭から尻まで目を通さないと、「読んだ」ということにならない、できない人が多い。
速読というのは、実は本を早く読む技術というよりは、本をいかに「読んだことにする」かという技術とも言える。
雑誌を読むように、新聞を読むように、素早く自分が必要とする情報を取り入れるための技術なのだ。
そういうと、必ず「いやいや、本はもっと味わってよむべき」という人がでてくる。
そういう人は、味わって読めばいいのだ。