人は、人の言葉を真偽を構わず快不快によってしか受け取らない。そのことが私を混乱させ、恐怖させ、また私の悦びを幻にする。私の精神は長い間抑圧状態にあって、生活上の困難すらもたらすこともある。いかに生くべきか。あるいは生くべきなのか。わからない。
私の言葉はいつも宙に浮いて、何処へも届かない。それが私の責任であるとして、では人はどうしてそのことの困難を感じずに生きているのか、その術がわからない。またこの問いすらもどこにも届かない。
届かないことの困難は、もはや困難というよりも不可能であるようにも思われ、絶望は私に死の可能性を示唆する。立場のために嘘の言葉を語って生きていくのなら、本当の言葉のために死ぬが次善である。前者は、私に生きながら死ぬ苦しみを与えるからだ。
死にたい。