2014-04-08

自分が白象に思える時がある

頼られると嬉しくてついつい引き受けてしまう。

大体なんとかこなしているけど、たまに自分が『オツベルと象』の白象に思える時がある。

「済まないが、税金が五倍になった、今日は少うし鍛冶場へ行って、炭火を吹いてくれないか」
「ああ、吹いてやろう。本気でやったら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせるよ」

オツベルの物腰は柔らかく、こちらへの配慮が見られる。これも同じだ。そんなふうに配慮されると、ようし頑張ってやろうという気になる。

その晩、象は象小屋で、七把の藁をたべながら、空の五日の月を見て
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。

そうして、疲れて帰ってきて、誰かを助けられたことを喜ぶのである。疲れも心地よいくらいだ。


だがいつかこんなふうになるんじゃないかと思う。というか、なりかけている。

まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどくし過ぎた。しかたがだんだんひどくなったから、象がなかなか笑わなくなった。時には赤い竜の眼をして、じっとこんなにオツベルを見おろすようになってきた。
 ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を仰ぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。

でも自分にはサンタマリアの遣いはこないし、お筆も紙もあったところで助けを呼ぶ仲間などいない。たとえ呼べたとして、そのあとはどうなるんだろう?

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