でもね、リンク先の素晴らしい、悲しい、文章を読むにつけ、
けっきょく「人間は考えるのをやめたら人間ではなくなる」のではなくて
「ほっとくと考えるのをやめるのが人間」なのではないのかとおもってしまう。
戦時中で同調圧力がガンガンに高かったときも、人は「考えるのをやめた」。
民主主義体制下で圧倒的な自由を享受できるようになったときも、人は「考えるのをやめた」。(E.フロムね)
ぼくらはいつでも、何を理由にしても、強制されていても自由であっても、
隙さえあれば、考えるのをやめるのだ。
逆に、「考える」という行為は、「考え続ける」という態度は、どういう条件下で可能になるんだろう?
そのことを考えるとき、三國連太郎のこの↓インタビューを思い出すんだよね…。
追悼・三國連太郎さん:徴兵忌避の信念を貫いた/毎日新聞(1999年8月) ほか - 薔薇、または陽だまりの猫
三國は勇猛な虚構や心地よい嘘に、簡単に身を委ねなかった。そして考え続けた。
最近の政治の話を見ていて思ったんだけど。 宗教も政治も、思想を持つ事は自由だし、指針として多少持っている方がいいと思うんだけど、 その思想を過信してしまって、客観性や論...
でもね、リンク先の素晴らしい、悲しい、文章を読むにつけ、 けっきょく「人間は考えるのをやめたら人間ではなくなる」のではなくて 「ほっとくと考えるのをやめるのが人間」なので...