困難ってのはしばしば壁に例えられる。
生まれたばかりの君の前に、生まれてはじめての壁。
例えるなら1cmくらいの、本当に小さな、壁というよりも段差みたいな高さの障害が、君の前に立ちふさがり、
小さな君は、その段差を苦労して乗り越える。
それからちょっと経って、少し成長した君は、1cmくらいの段差なら苦にもならなくなっているが、
50cmの壁にぶち当たり、どうしたらいいのかわからず泣いてしまう。
お母さんの手を借りて、君はようやくその50cmの壁を乗り越えることができるようになる。
また少し経って、君が50cmの壁を跨いでいけるくらいになったころ、見渡すと、君の行く道の先は壁だらけだと気付く。
また、君と同じように、壁の前に立って、必死に乗り越えようとする人たちとも出会う。
君は選択を迫られる。
簡単に乗り越えられる低い壁のある道を選んで進むか。
それとも、君の背よりもずっと高い壁に挑戦し、まだ見えない壁の向こうの道の先を探求するか。
君は天の声を聞いた。
「より困難な道を選びなさい。」
君は、自分の背よりも高い2mの壁の前に立った。
ジャンプして壁のへりに手をかけ、よじ登ろうとする。何度も失敗して、ようやく壁を越えることができた。
君は今まで何度か壁を越えてきた時に感じたような達成感を得た。
天の声は言う。
「より困難な道を選びなさい。」
君は、次に2m50cmの壁の前に立った。
壁の向こうに、君が欲しくてたまらない宝物が置かれているのが見えた。
君はまた、苦しい思いをしながらも、壁を乗り越え、達成感と宝物を得た。
今度は3mの壁だ。
きっとこの先にも素晴らしい達成感と宝物が待っているに違いない。
でも、3mの壁は思ったよりも高くて、へりに手も届かない。なかなか超えられない。
後から来た誰かが、3mの壁を簡単に越えていった。君は焦る。
君は少し無理をして、腕を怪我してしまった。
3mどころか2mの壁も越えられなくなった。
宝物は抱えられなくなった。
天の声が言う。
「より困難な道を選びなさい。」
2mの壁も越えられなくなった君なのに、また2m50cmの壁に挑戦してしまう。
今度は、脚を怪我してしまった。
もう1mの壁も乗り越えるのにも一苦労の君。
1mの壁が続く道を見て、この道が今の自分にとってどれほど困難な道かと君は絶望する。
「神様、僕の腕と脚をどうか治してください。そうすればまたより困難な道に挑戦することができるようになります。」
もう君の耳に天の声は聞こえない。
君が、君には超えることができない3mの壁に挑戦さえしなければ、
君がこれから歩むことになる1mの壁が続く道も、難なく進むことができたのに。