2011-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20110519173152

そういえば刑法世界には「人格形成責任」という概念がある。

行為者がある違法な行為に出た場合に、

その行為者は他の適法な行為にでることも可能であったにもかかわらず敢えて違法な行為を選択したといえるとき

その行為者に対して、違法な行為に出たことを批難することが可能となる。

その批難可能性を「責任」と呼ぶ。

この「責任」と人格の関係が問題なんだが、

人間の行動選択は人格に拘束されるとすると、

犯人性格が悪ければ悪いほど、

その犯人はその行動を選択せざるをえなかったことになり

「敢えて違法な行為にでた」という批難可能性は減少する。

それじゃ困るよね、ってことで

「確かに性格悪いと行動選択は拘束されるけど、そもそもそんな悪い性格になったこと自体に責任あるよね」

ということで行為者を批難するのが「人格形成責任」。

まー、完全にフィクションですよね…。

記事への反応 -
  • 自分で自分を作れるという仮定を前提とする社会は重要な環境だと思うわ

    • そういえば刑法の世界には「人格形成責任」という概念がある。 行為者がある違法な行為に出た場合に、 その行為者は他の適法な行為にでることも可能であったにもかかわらず敢えて違...

    • 社会は自己責任という幻想を信じることしかまわらない仕組みになっているからな。

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