1 イケメンという言葉が使われ始めて以来、この言葉がいわゆるイケメンと呼ばれる人々に対し、恋愛をはじめ、政治的、経済的、社会的人間関係における特権ともいうべき地位が付与されるに等しい機能を発揮するようになり、平成22年時点で、いわゆるイケメンとそれ以外の人々との間に著しい利益格差を認めることができるから、イケメンという言葉は、表現自体は憲法21条の保障の範囲内にあるが、この言葉の用いられ方によって利益格差を生んでいる部分を解消しなければ、そのような表現は21条ひいては14条1項に違反するというべきである。
2 具体的には、イケメンという言葉は、社会の大多数の人々に対し、容姿による差別感情や優劣感情を惹起するおそれが非常に高く、容姿により人間が差別されてはならないという憲法上の利益を害し、特定の文脈においては、イケメンという言葉を発することは、社会の許容限度を超えて国民の人格利益を傷つけるものとして、不法行為を構成する場合もあるというべきである。
3 この点、大多数の大人にとっては、イケメンという言葉の意味は人格にとってさほど重要ではなく、不法行為というに及ばないという反論がありうるが、イケメンという言葉は主として若者の間で使用されるところ、若者も国民であり、イケメンという言葉が若者社会において何らかの重大な差別感情や優劣感情を惹起していれば、それは憲法が保障する平等権の侵害であり、大人社会において利益の侵害とはいえないからといって、国民全体において利益の侵害が生じていないということはできない。
4 また、イケメンと同様に高学歴という言葉も差別に当たるという意見がありうるが、高学歴の場合はそれに見合うだけの努力をしてきており、高学歴かどうかも一般人の主観的評価ではなく、試験など学術機関における高度に専門的な評価により定まっている確実なものであるのに対して、イケメンという評価は、生まれつきの容姿といった偶然の事情や、髪型服装を工夫したというだけのことで得られてしまい、しかも高学歴に勝るとも劣らない不当な社会評価を受けているのであるから、学歴による社会差別はいわば合理的な差別として例外的に許容しうるのに対して、ほとんど見るべき努力を伴わないイケメンを高学歴と同様に扱うことはできず、高学歴という社会差別が行われているからイケメンという社会差別も容認されるべきだという意見は失当というべきである。
5 さらに、このようにイケメンをもてはやす傾向は、しばしば高学歴とイケメンが対抗関係に立つことからも分かるように、十分な努力の上に形成された高学歴という地位を、大した努力に基づかないイケメンという地位によって容易に毀損しているという不道徳も生じており、イケメンを全面的に違憲違法として高学歴を救済しなければ、著しく正義に反する事態を生じることになる。
6 なお、イケメンは高学歴に刺激を与え、長期的な意味で高学歴に利益を還元するという考慮に基づくものだという意見があるが、少なくともイケメンという言葉が用いられるようになった平成12年前後において、高学歴の対抗勢力であるイケメンを強く支持しなければ高学歴が息を吹き返さないほどの危篤状態に陥っていたという事実はなく、むしろ平成12年前後でも昔と同じように学歴に威信を感じて努力していた者も相当数いたはずであって、この機会にイケメンを強く支持し、学歴を貶めたとしたならば、高学歴の権威は著しく失墜し、それを支える者の努力も減殺され、極めて不道徳な事態を生じさせたということになる。要するに、平成12年前後にイケメンという言葉を登場させたのは政治的に極めて不当な判断であり、この10年におけるイケメンの猛威と高学歴の威信の失墜は、異常な利益の不均衡状態であり、違憲違法なのである。
といって http://anond.hatelabo.jp/20100625183535 = 1 http://anond.hatelabo.jp/20100625183344 = 0 として解読するほどの根気があるわけではない。