まずはそのよだれを拭け。
損得考えて付き合うのって友達じゃなくて「知り合い」レベルだよなーとなんとなく思った。
田舎ってものすごく世間体気にするじゃない。相互監視社会だし。だから、そういうのを元増田が知らないとして、弟の結婚を機会に急にそういうのをみてしまったら、嫌悪感催したり、悪い解釈をしてしまってもしょうがないと思うよ。
そうだな。おれの死んだ爺さんは戦争のとき徴兵されてフィリピンにいたが、フィリピンでの出来事は全くしゃべらなかったな。親に聞いても、泥酔したときに一回だけ聞いたことがあるだけだそうだ。基本的に生命の危機にさらされるような苦労をした人は、あまり苦労しろとか言わないな。
http://anond.hatelabo.jp/20100515024144
「大々的な結婚式」って何?
奥さんになる人の親御さんが「式の費用は全部もつ。こちらのやりたいようにやらせてくれ」と言うのなら、やらせてやればいいんじゃないの? 確かに結婚は当事者二人が夫婦になるってことだけど、生活を始めて子供を持てば、どうせ親類縁者の助けが必要になるんだし。男親のほうに里帰りしてくるなんて話は滅多に聞かないから、奥さんのほうの実家に里歸りするんだろうし。
苗字だけは困るだろうけど、戸籍上の名前は奥さんのほうにしといて、自分は「通称」ってことで旧姓使えばいいし。
簡単に片づくことを「問題だ問題だ」と騒いでいるようにしか見えない。
苗字を向こうの苗字にして近くに住んでほしいっていうのがすごく気になる。相手方のは保守的な家っぽいけど、それなら普通向こうから連絡を取ってきて、こちらの苗字で統一という形にしてほしいと平身低頭でお願いしてくるはずだよ。それをしてこないということは、なめられているとしか思えない。この話、なんか向こうの両親がネックになって後々いろんなことが起こりそうだな。
えーと。
奴らはどうしてあんなに口煩くて押し付けがましくてうざいのか。
あんまり苦労したことが無いから、少ない経験を大げさに吹聴してカバーしてるんでしょ。傍から見て「苦労してるなあ」ってしみじみ思う人って、たいがい苦労した内容については語りたがらない。自分ではやって当然と思ってたり、苦労するのが人生だと達観してたり。
『苦労』ってものが特別な人だけが、「苦労した」「苦労した」って騒ぐんだよね。うんざり。
5月14日(金)
復調。
おさまってみると、やっぱり、状態が悪い時というのは「気がふれている」んだなと実感。
ちゃんと治るんだから、私も泰然と構えて接していきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20100515141111
ありがとう。
でもあくまで「構えたい」なので、実際にはすごくないです。
この広い宇宙の中で何兆個のサイコロが何億年振り続けられてきたと思ってるんだ?
それだけで日本は良くなると思うんだ。
電線、電話線、光ファイバーが張り巡らされた電柱を見て、自身を投影している人間は多いはずだ。
これがなくなったら、気分もすっきりすると思う。
車道にあることによって、歩道が広くなり、車は気をつけて走るので事故も減るはずだ。
そう歩道もひどい。
人口密度2,000人/km^2以上のところは、歩道の広さは車道並みにないといけないはずだ。
そうそう、法人税なんてやめよう。
あれは節税のためにあるようなものだ。
知り合いの大家なんか、税金を節約するためにさらにアパートを買い、それがさらに儲かって、という金持ち父さん状態だ。
ま、このへんでやめとこう。
恋人を優先したら持続出来ない程度の友情は、持続させなきゃいいんだと思うんですけど。
恋人みたいに密接じゃないからこその友情であって、恋人はがちっと付き合って、別れたらそれでおしまいですけど、友達はたまに疎遠になることがあっても(たしかに原因に異性が多いのは認めます)、結局は緩く繋がっているもんだと思います。
そもそも、そんな予定すら聞けない女と友達付き合いしなきゃいいじゃないですか。
価値観が合わなくて、すり合わせられる見込みもない相手と付き合うのなんかやめた方がいいのは恋人でも友達でも同じなんじゃないですかね。
ていうかもっというと、増田は増田自身よりお友達を優先してて、それが苦痛なら、ほんと、やめたらいいのに。相手は変わんないよ?自分が変わった方が楽だし早いよ。
セックスをしてきてない奴は薄っぺらいとか
「自分なんかね・・・(聞いてもいないのに語りスタート)」とか
セックスをしてきた人は他人の痛みや苦しみが分かる心が綺麗な人とか
成長とか試練とか社会人とか
奴らはどうしてあんなに口煩くて押し付けがましくてうざいのか。
爆笑。
自分はこんなに苦労してきたのにとか
若者は苦労しなくちゃいけないとか
苦労をしてきてない奴は薄っぺらいとか
苦労をしている自分は来世では云々とか
「苦労をしらない人はいいよね(笑)」
「自分なんかね・・・(聞いてもいないのに語りスタート)」とか
苦労をしてきた人は他人の痛みや苦しみが分かる心が綺麗な人とか
成長とか試練とか社会人とか
奴らはどうしてあんなに口煩くて押し付けがましくてうざいのか。
セオバルド氏によると、「複数の祖先が存在したとする説で最も有力なもの」は、1つの種が真正細菌に進化し、1つの種が古細菌と真核生物に進化したという説である。しかし今回の分析結果から、その確率は10の2680乗分の1であることがわかった。10の2680乗とは10の後ろにゼロが2680個並ぶ数字である。「これは天文学的な数字で、あまりの小ささに、口にするのもはばかられるほどだ」。
同氏はまた、ヒトは始めから現在の形でこの世に存在し、進化的な祖先など存在しないとする創造論的な考え方についても検証を行った。統計分析の結果、ヒトが独自の起源を持つなど「ひどくお粗末な仮説だ」との結論に達した。ヒトが他のどの生物とも別に創造された確率は10の6000乗分の1だという。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100514004&expand
確率論的に低いからといって、創造論が間違ってるとは限らない。
むしろ確率論的にありえないようなこと、普通ならありえないようなことを体験したときこそ、我々はそこに奇跡を見出すのではないだろうか?
そう考えることで、まさに神の創造である奇跡そのものの、「私達が生きているこの世界」の素晴らしさが見えて来ると思いませんか?