まず「1+1は2」でなぜ理解できなかったのかがわからない。
いやいや、ちょっと待とうよ。
なんで、【頑張っているのに認められなかった】なんつう物語が生まれる必要があるわけ?
をちゃんと考えようよ。
その辺りをエスパーしちゃったから、ずれただけなんだと思うんだが。
髪を切ったら、男性に間違えられるようになってしまった。
朝は駅の女子トイレに入ったら一瞬「えっ」みたいな顔されるし、
帰りは帰りでスナックの客呼びに声をかけられた。
た、確かに背は高い(169cm)けど・・・
うっすらだけど化粧してるのに・・・ショックだぁぁー・・・。
髪が伸びるまでスカートを履くか。
いやいやでも男に間違えられるような容姿で
スカートなんて履くなって話?
それってつまり「想像力が足りない」ってことじゃない?まぁお互いに。
元増田の発言に反論とか、論破したくて「職業としての貴賎=個人の人柄」を持ち出したんじゃないの?
少なくとも「情け深いひとたちがたくさん棲んでいる」以外に、「賎」としない理由を書かないと、意味が分からない。
何故、反論や論破という極端なことを言うの?
俺は「元増田がそこまで嫌悪感を持つような職業じゃないと」言いたいだけ
別にあなたが100%納得いくようなことを言うつもりは欠片もない。
曖昧なもので済ませたら悪なの? 非モテ云々と同程度というのもよく分からない。
そう思うならどうぞ、と言うほかはないというか。
たまに「この作品はマッチョ思想丸出しで云々」「描かれる女性像/男性像が封建的で云々」みたいな批判のパターンをみることがあるが、作品全体を通してその手の人たちが完璧に満足できるような、差別性のない?作品というのはどれぐらい存在してどれぐらい売れているのだろうか。
それはつまり「作り手(もちろん、女性も男性も、それ以外も問わない)はそういう内容の作品をどれほど求めているのか」「受け手はそういう内容の作品をどれほど求めているのか」ということだが。
例えば「作り手も受けても望んでいるのに編集が通してくれない」というようなことはないはずだ。日々「これはどこ向けに作っているのか」という、見るからにくだらない作品も生まれているのだから(むろんそれらは当然に消えていくが)。求める人が多いような作品がいつまでたっても世に出ず、いつまでたっても広がってゆかないということがあるとは思えない。いうまでもなく、最悪でも同人誌で出せば「世に出ない」ということはありえない。求められている作品が、いつまでも市場で力を持たないなどということがあるとは思えない。
「そういう世界観」に魅力がまるで存在しないのであれば、「そういう作品」もまた存在できず、売れもしないだろう。が、魅力がまるでない、ということはあるのだろうか。「そういう世界観」は魅力と幸福に満ちているはずではないのか。ならば、作り手も「そういう作品」に魅力を見出し、受け手はこぞって買い求めるだろう。「そういう社会」はすぐにやってこなくても、「そういう作品」はすぐにできる。というより、できていないわけがない。
素晴らしい作品があるのなら私はそれに触れてみたい。だが私は情報を持っていないのだ。「これがいいよ、もちろんすごく売れているんだ」という作品を、誰か教えてくれないだろうか。
それこそ素直に、「努力もしない輩が自省もせずに愚痴ってるのが頭にきたから」で良いのでないの?
なんで、【頑張っているのに認められなかった】なんつう物語が生まれる必要があるわけ?
元増田の発言に反論とか、論破したくて「職業としての貴賎=個人の人柄」を持ち出したんじゃないの?
少なくとも「情け深いひとたちがたくさん棲んでいる」以外に、「賎」としない理由を書かないと、意味が分からない。
沢山ブクマがついていて驚きました。ありがとうございます。気になったブクマコメントだけちょっとレスします。
え?でもそれって付き合わなかったら分からなかったわけで,そういう意味では良い経験だったんじゃ・・・/まあ恋愛至上的イデオロギーはまずいとは思うけど
もちろんそのとおりで私自身も良い経験だったとは思うんですが、自分もかかわった人も何人も苦しめて何年も経て気づいたってことがネックというか・・・。
経験しなくても気づけたらその方がいいし。(一度の経験で自分の価値観を悟った友人がいるから余計にそう思うのかもしれません)
苦しんでる最中にこういう価値観を言われたらもっと早く楽になれたんじゃないかなということで、最後に書いた“マジョリティであらずんば人にあらず”みたいな空気に苦しめられている人たちに向けての言葉です。
これも同意なんですが、男性はそうじゃないっていうんじゃなくて、女性は男性以上にという意味です。わかりづらくってすみません。
私の周りだけなのかわかりませんが、小学生も高学年になると○○君が好きとかそんな話ばっかりで好きな人がいないとか言うとすごく驚かれるんですよ。小学生からずっとそういう空気は続いてます。大人になったら驚かれることは少なくなりましたが、「早く好きな人できるといいね」と言われて、えっ好きな人っていなきゃいけないの?といないとおかしいように言われたり・・・。
男性は「彼女いないの?」と聞かれることはあっても「好きな人いないの?」と聞かれて驚かれることって恐らく女性よりかは少ない気がしますが、異論があればお願いします。
女性と男性で恋人ができやすいのは女性だと思っています。男性の方がハードル高いでしょう。
(相手を選ばなければという条件の話ですが)
なのに『彼氏いないのはなんで?』となるんですよ。
元記事を書いたのは、喪女なことは喪女なんだけど(http://anond.hatelabo.jp/20090923013046)を読んで、この増田さんと私とは理由は全然違うんだけれど、私も規定の恋愛価値観を押し付けられて苦しめられたなと思い出したのがきっかけです。
マジョリティはマジョリティでいいんですが、マイノリティを無自覚に否定したり、マイノリティがおかしいような空気が作られていたりするのがモヤモヤします。
いろんな人がいていいのになと。最後に金子みすずのこの言葉を。
“みんなちがって みんな いい”
いや別にそれはそれでいいけれど・・・。
でもそこまで「仕事がしたくてしたくて」という風には見えないから
http://anond.hatelabo.jp/20090924172320
のように言ったんだけどな・・・。煽り?
ん、別に反論しようとか論破しようとかで言った訳じゃないよ。
言葉通り「そう言いたかった」という説明でそれ以上でもそれ以下でもないよ。
ん?全寮制の中高一貫にしとけばいいじゃん?実際、親にきてもらう必要はないんだから。
書いててくれたモデルだと、
にならない?
まぁ今の灘とかラサールとかがそれっぽいですよね。
そこから大学に行かないとダメ(ダメって事は無いか?)だとすると、
結局地方には人残らないな~。
小学校で習いましたよね。
1+1=2
ようするに、1たす1は2という、言い方
これが不味いと思うんです。
というのも僕は「=」の正しい意味を、中学校になってやっと知ったんです。
きっかけは、イコールという表現に変わったからなんです。
「なるほど、右辺と左辺は、等しいのか・・・」と
それまで、日本語の「~は」みたいな感じで「=」を使ってたんです。
そうじゃないんだ。左辺と右辺は等しくあるという意味なんだ!とやっと中学生になって理解できたんですw
その事を友人に言って、「えええ!、いまさら?」笑われたのは良い思い出ですし、俺って馬鹿だなぁと思うのですが
つまり、この表現のせいだと
そして、この表現をやめたらどうなんだろうと思うわけです。
なぜこのようなことを言い始めたかというと
もしかして、このアホみたいな間違いを、大人になってもやっている人が多いんじゃなかと思ったんです。
今、家庭教師で英語を教えているのですが、学生の使っている参考書に
I am busy.(私は忙しい)
という文章の、amの説明が=になってて、驚いたんです。
「私=忙しいっておかしいでしょ」と、思いませんか?
じゃあ、忙しいを左辺に移動させると、「私-忙しい=0か?」とか思ってしまいます。
しかもこんなのを中学生に教えてちゃ、英語ももちろんですけど、数学の感覚もどうにかなってしまうんじゃないかと心配したんです。
考えすぎですか?
それとも「感情なんか働いていない。普段から攻撃的な人間なんだ。」という意味で「素直に文章を読めばいい」と言っているかな?
そういうこと。もちろん元増田にとって、あの程度は「攻撃的」の部類に入ってない可能性もある。
これ、おもしれーww
- 目の前の小さなマネー → 完成までにかかる1000億円。既執行分も含めて5000億円ぐらい。
- 未来に起こる大きな価値あるもの → 将来起こりうる洪水・渇水によって生じる、都市機能・人命・経済活動への損害(を回避するという価値)。priceless。
こうですか!?分かりません(><)
元増田が考えるほど「賎」な職ではないというのを言いたかっただけ。
つまり「情け深いひとたちがたくさん棲んでいる」職種は賎しくないと考えてるんだろ。
横だけど、職業としての貴賎と、個人の人柄なんて無関係じゃないのか?
に対する反論になってない。