人って自分が正義だと信じて疑わない立場になった時、その本性が現われるからね
もともと、内助の功というのがあるように。男が前に出て戦う。女が後ろで支える。というのがあり。
どちらが偉いとかではなく、協力することがあたりまえだっただけの話。
今も昔も、男は協力するのがあたりまえだと思っている。
女は自分一人でできると思っている。
だから、女は肝心なところで裏切るから、女は怖いといわれる。
増田ではないけど
カリフォルニア州知事はアーノルドシュワルツネッガーで、アーノルドシュワルツネッガーは男だけど子供を産むというハリウッド映画に出たことがあるというジョーク。
柔らかNEWS 【虐待冤罪】東京・墨田児童相談所による拉致監禁事件?【児相被害】
ttp://yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-724.html
自分が巡回している個人ニュースサイトで上のタイトルを見て見ずにはいられなかった
自分も昔児童保護施設にいたからだ
問題の真偽は正確なソースがないので保留にしておくが、問題は批判の内容
児童相談所がいかに偏向思想に染まっているか、悪質な存在か声高に叫んでいるが
(相手は組織なので人格はないが)一方的な決め付けによる人格攻撃としか思えない
少なくとも自分にはそうとしか読めない
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強制的に拉致された
これは連れて行かれた立場からすればそれが正当な理由であろうとなかろうと
その処分に納得できなければこういう認識になるのは理解できる
しかし「児童相談所は拉致監禁を隙あらば狙っており、家庭崩壊を目指す思想集団である」
ここまで行くとある種の強い攻撃的な情念を感じずにはおれない
もちろん行政機関だからそういうことがないと言いたいわけではない
たとえば日教組の反日というか反国家思想などはそう思っている人間も多いだろう
それは卒業式の日の丸・君が代問題などを通してそういう教師がいることが知られているからだ
それでさえリンク先の筆者が指摘するような内容を教師に置き換えて主張すれば
どちらをより偏向した思想の持ち主であると思われるかは想像に難くない
そういう人格攻撃さえなく問題の事件の主張を完結にまとめてさえいれば
ここまでこの批判が受け入れがたくなったりはしなかったと自分は思うのだが…
話は変わるが自分が施設にいた時の話
児童相談所は関所みたいなもんで児童の条件ごとにそこから施設に振り分けられる
だから相談所ってのは保護されるまでしかほとんどかかわらない
まぁ東京のじゃないしすげー昔なんでリンク先を否定するわけじゃない
児童保護施設(正式名じゃないかも)にいたときは本当に毎日逃げ出したかった
そりゃそうだ
自分は虐待を受けていたわけでもないし集団生活が楽しいと思える性格でも年齢でもなかったし
環境自体も決していいと言えるような状況でもなかった
家庭環境が劣悪なとこから集められた人間を体育教師が体育教師なりのやり方で生活させてる
まぁ虐待で頭の骨がぼこぼこになってるような奴(相当小さいときから受けないとならない)と
族だったり家出繰り返したりで保護者が面倒見切れなくなったような奴を一緒に管理するんだから
しょうがないっちゃしょうがない
あのころはそんなこと考える余裕なんてなかったけど
虐待受けてた奴だっていつまでも弱いだけじゃなくてグレたりする奴だっているしね
なじむやつはなじむんだろうがなじめない奴はとことんなじめない
オレはなじめないほうだった
もう長いこと連絡取ったりすらしてないから今はそういう施設がどういう状況か知らない
児童が区別されるようになってなきゃ虐待で殺されたりするよりは多少マシって程度だろうとは思う
こんなこと書くと施設に入れるべきじゃないって思うかもしれないけど
そんでも虐待で殺されちまうよりマシだと思うんだ
この事件の長男もそうだけど虐待受けても子供は親を慕うんだよね
施設から一時帰宅とかして飯とか何も作ってもらえなくて帰ってきたらゲッソリしてんのに
そんでもすげー奴らうれしそうなんだよ 親に会えて
だからオレには多少話を聞いた程度でどっちが子供にとっていいとは言えない
「AすればBになる」というのは単純なモデルなら100%に近いくらい正しいのかも知れないが、複雑なモデルになると確率の問題になるだろうと思う。
一生懸命勉強すれば試験に合格する確率は上がるが、司法試験とか難易度の高い試験だとやっぱり運の要素が出てくる。勉強すればするほど合格の確率が上がるだけで、
落ちる確率もゼロにはできないわけだ。すると現実に現れるひとつのパターンとしては落ちるパターンが現れることもあり得る。
「Aすれば100%Bになる」の考え方だと「勉強すれば100%受かる」ということになるから、勉強したのに受からない→「勉強すれば100%受かる」という仮説が
そもそも間違ってるんだ!となってしまう。しかし「Aすれば100%Bになる」という考え方を捨てるとこうはならない。やはり勉強する方を選択するだろう。
つまり結果から仮説の正否を考えることが間違っているということがわかる。
もし結果から仮説の正否を考えるのであれば、サンプル数が何百何千と必要で、それらのサンプルがかなり同条件(できれば全く同じ)であることが望まれる。
これが帰納的に考えるということ。
だから、行為Bの是非を考える際、結果から見てはいけないんだね。あくまで仮説同士の仮説としての競合だけが論争のポイントになる。そしていかなる仮説を選択した場合にも、真相は永遠にわからないというスタンスが、真実に対して誠実な態度だと言える。だから仮説に対しては賭ける、「BETする」というスタンスでしか語れなくなる。
だから「絶対正しい」という態度で高圧的に語ることはできないはずなんだ。
そういえば国債残高が急激に増えたのも橋本から小泉にかけての改革政権でおきたことなんだよな。GDP比政府純債務は55年体制のころは先進国最低レベルの健全財政だったのにね。
何も新しいことはせずせず現状維持でよかったんだよ。
じゃあお望みどおり上から目線で。
街にいって周囲を見渡してみるとよいよ。
おまえのことなんて知らないから恋人できない理由なんて知らんよ。
経験談で語るなら、女って好きじゃない男に好意を寄せられた場合、扱いがワリと酷いよ。
別におまえだけが被害にあってるわけじゃなく、わりと普通にあるケース。
周囲の人に相談したって水に落ちた犬みたいに叩かれるだけだろ。
女が悩んでるならともかく、男がふられて周囲にしつこく聞いたって慰める奴なんているかー?
顔と結論づけるならそれでよいが、顔面の作りだけが恋人の有無を決めるなんてことは普通にありえない。
少なくとも俺の見てきた世界では。
高校のときの保健の授業でそんな感じの話してたなあ。当時は何を言ってんだって思ったし、概念的すぎて思考が止まっちゃいそうな内容だったけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
調べたら、なんかこんな感じのことだったのかな。なんというか、こういうのって当たり前のようで見失うよね。
相変らず自分の気に入らない人物を支持する人たちを馬鹿にするだけで、それで終ってしまう人が多いよね。
それじゃ何も変わらないし自分たちが望む方向になんて決していきやしないのに。
一番重要なのは自分の意に反している人たちを取り込むための手法だよ。
90年代以降旧体制の中選挙区自民単独政権が潰れて小選挙区連立時代になったけど橋本のから小泉にかけてのナントカ改革やりまくってからというもの、どんどん失業率上がって一人当たりGDPもほかの先進国にどんどん抜かされてるだろ。そういう現実があるにもかかわらずいまだに改革すればよくなるとかいうほうが妄言に見えちゃうんだよね。
そうはいうけど、しないほうが下がったかも(それ以前に上がりすらしなかったかも)しれないわけで、改革したほうがしないよりよくなる可能性が高かったというのを証明しない限り詭弁でしょ。
改革しなければもっと下がってるかも知れない。
もしかしたら全く同じ改革しても、下がる率30%上がる率70%で、単に30%の下がる方の巡り合わせなだけだったかも知れない。
だとすれば結果は悪くても70%の成功率の方に賭けてみるのは悪くない行動とも言える。