2008-09-07

改革

「AすればBになる」というのは単純なモデルなら100%に近いくらい正しいのかも知れないが、複雑なモデルになると確率の問題になるだろうと思う。

一生懸命勉強すれば試験合格する確率は上がるが、司法試験とか難易度の高い試験だとやっぱり運の要素が出てくる。勉強すればするほど合格確率が上がるだけで、

落ちる確率ゼロにはできないわけだ。すると現実に現れるひとつのパターンとしては落ちるパターンが現れることもあり得る。

「Aすれば100%Bになる」の考え方だと「勉強すれば100%受かる」ということになるから、勉強したのに受からない→「勉強すれば100%受かる」という仮説が

そもそも間違ってるんだ!となってしまう。しかし「Aすれば100%Bになる」という考え方を捨てるとこうはならない。やはり勉強する方を選択するだろう。

つまり結果から仮説の正否を考えることが間違っているということがわかる。

もし結果から仮説の正否を考えるのであれば、サンプル数が何百何千と必要で、それらのサンプルがかなり同条件(できれば全く同じ)であることが望まれる。

これが帰納的に考えるということ。

だから、行為Bの是非を考える際、結果から見てはいけないんだね。あくまで仮説同士の仮説としての競合だけが論争のポイントになる。そしていかなる仮説を選択した場合にも、真相は永遠にわからないというスタンスが、真実に対して誠実な態度だと言える。だから仮説に対しては賭ける、「BETする」というスタンスでしか語れなくなる。

だから「絶対正しい」という態度で高圧的に語ることはできないはずなんだ。

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