クリスマス数日前くらいから新聞の折り込み広告におもちゃ屋の大きなチラシが入るようになる。そのチラシを広げて眺めてるのがすごい好きだったなあ。正月にもお年玉を見込んでおもちゃ屋のチラシが入るけど、それも楽しみにしてた。
自分のプレゼントは一つしか買ってもらえないんだけど、おもちゃを眺めてるだけでわくわくしてたな。
おもちゃ屋さんになりたかったくらいだ。
こういう奴は自分の言うことと信念が結びついてるから、いくら言っても無駄。
値下げしたってことは、一番売れる時期が過ぎてしまったってことでしょ。
某新宿に住んでいる人に聞いた話なんだけど(その人は別にゲイじゃない)、
ここ数年でゲイバーのような店に行く女性が増加しているらしい。それも中年に偏り。
何でもゲイには若くて可愛い子が多いからみたいで(中学生もいるらしい……)、
そういう子と仲良くなると、女性ホルモンも出て健康に良いんだと(要はムラムラするんだろ)。
それで問題になってるのは、そういう若いゲイの子を金で買って
セックスして、おばさんの性欲処理の相手をするゲイが出てるとか(別に女とセックスできないわけじゃないらしい)
そのままゲイじゃなくなって(?)おばさんキラーになってお金を稼ぐ奴もいる。
いわゆる女性の「オヤジ化」なんだけど。風俗もないからねえ、女は(ホストくらいかな。でもあれは嫌いな人も多そう)。
うーん、そのうち若い子とオバさんが出会うハッテンバとか、風俗とかできるかも?(もうできてたりして)
あなたはこの現象、良いことだと思いますか?問題だと思いますか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1840133
がすごい。
プレミア価格になっててびっくりした。
例えばロールプレイングゲームでレベルを上げるのも立派な努力だよ。
それを「要らない努力」か「要る努力」かを判断するのは、自分が決めることなんだって。
そういう努力を周りは一切見てないんだろう。
君は医者に行く以外にも色んな事を頑張っているはず。
それを周りが、あるいは自分が否定してるんだろう。
だから…
うつ病だとかの心の病だとか「気持ちを前向きに変えたい」って意欲自体が出てこないの!
そういう症状なんだよ!ただ「自分はダメだ、もう生きていてもしょうがない」と思い続ける。
だからこそ、医者にかかるだけでも大きな一歩なんだよ。
うつ病を発症してから医者にかかるまでの期間をどうやって縮めるか、関係者は頭を悩ませている。
よく知りもしないくせに簡単に言うな。
それって無意味なんじゃないかな。
一つの指標で比較する事が出来るけど、
大学において必要な学力っていうのは「研究する際に必要な学力」なんだから、
専門分野が別れている大学で、同じ指標で測れる学力なんて無いと思うし、
無意味だと思う。
話は逸れるんだが、自分も女なんだけど、女の場合、高学歴であればあるほど、逆に聞かれるの嫌がるよ。自分もそれで引かれた経験あるし。学歴が高ければ聞いても心象を害しないって事でもないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20071225154028を書いた元増田です。ごめんなさい。私はオトコです。
それはそうとして、仰ることは正しいと思います。結局、この学歴社会で選ぶ話題としてはあんまり適切じゃないということか、と。
Fランで東大生に勝つことも可能。
そうなんだ、ごめん。
心の持ち方の変え方?
変えたいと思ってなければ変われないよ。
周りに圧迫されて悲観的になってなりたくない自分に変わろうとしてて
本当は現状維持したいだけじゃないのって思えるんだが。
それはそれで別に全然悪くないよ。
したくない努力はしなくていいよ。
ふーむ
「仮に」下品と無神経をこの際分けて考えるとして……それは自分が「下品」ではないが「無神経」な人間であることは認めるってことなのかな。それは謙虚に認めるっていうんでなく、たとえば社会で生きて行くには「ある種の無神経さ」が必要になるというようなある種のヒラキナオリ的な意味で。「ソンナコトイチイチ気ヲツカッチャランネーヨ。バカジャネ?デ、ソレガ下品ダッテ?シッツレーナ!」ってことか。確かにそういうことを「オトナ」だと主張される人々もいないではない。それは認める。しかしそういう人々は余り「品がよろしくないオトナ」だと私は理解しているんだが。
こちらの主張としては、細やかに神経を使うことは「品(ひん)」の問題の重要な柱の一つだと思っているんだけど、どうだろう。その二つを分けていいなら、たとえば
『心遣いが細やかで下品な人間』
という表現も成り立つだろうけど、自分としては「それは『心遣い細やか』って言わないんじゃ?」「それは全然『上品』じゃないだろうw」って思ってしまう。で、あなたはそういう表現を成り立たせるべきだと主張するわけか?
もし、「品」という言葉がごくごく人間の上辺だけの底の浅い見かけのことを指すだけのものだとしたら、「無神経」と「下品」を分けろという妙な言いがかりにもそれなりに筋は通るのかもしれないが、それでは「品」という言葉があんまり哀れではないかと思ってしまうのだよ。「品」というのはもっと人間の内面性の高さが外面に自然とにじみ出てきたものを指す言葉であって欲しいと思う。
そんなわけで、再度主張するけど、最初の元増田の「(無神経な質問を平気でする奴の感性は)下品だ」という主張に、自分はそれほど違和感を感じない。ただ少し譲歩すると、そう言い方をすれば今の時代のほとんど全てを「下品だ」と、私も、おそらく元増田も感じているということにもなるだろうね。そのことも否定はしない。そしてそれが100%正当だとも主張しない。
なぜなら「品」というのは時代と共に下って感じられるもので、それは仕方ないからだ。徒然草にも「何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。」って言葉があるけど、本当に時代と共に「無下にいやしくなりゆく」ままに1000年たてば、上品な人間や上品という言葉なぞこの世から滅亡しててもおかしくないけど、まあそうはならんわね。年寄りは若い人間のやることが下品に見えて仕方ないものなんだよ。多分。
そんなわけで、まあ古い人間とそうでない人間の言語感覚が少しずれるくらいは、なるほどありそうなことだ。あんたと私の話も、まあそういうことでいいんじゃないかね。