http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/bd14671cabb80271ea06f779c693ef73
この人がなんで自助グループに来ないのか、という疑問がある。
あまり世間では知られていないが、トラウマを抱えて生き抜く人というのは結構多く、毎週のように日本のけっこうな場所で、そういう人たちが抱える悩み、苦しみ、怒りを共有する集まりがひっそりと行われている。
大抵はAAを起源とした自助グループで、そこでは何を言っても安全だ。どんな怒りを表明しても、どんな苦しみを表明しても、どんな自殺願望を表明しても、そこでは許される。ただし、参加者を攻撃することだけは絶対禁止。なぜなら、その場所が安全でなくなるから。
彼女の言う「少数派」という認識は、このあたりに集団があるということを認識していて、そういう場所なら「一人称俺の彼女」はどんな状態でも受け入れられるだろうし、自分もその一員であると認識していることは容易に想像がつく。みんな仲間なんだ。
しかし、彼女は、たぶんそこには(少なくとも今は)足を運んでいないのだろう。
恐らく、そこで違和感を覚えたのかもしれない。
一人称俺の彼女には、一度そのへんを詳しく語ってほしいものだ。
何にしても自己分析が進んでいない。全然進んでない。PTSDのまま思考停止してる。だが無理に分析しようとすると人格崩壊の可能性もあるから、やるならそういう場所で手を取り合いながら、ゆっくりすべきなのに。こんなとこでわめいたところで、トラウマがただひたすら固着していくだけなのに。
第二の地獄は賢明地獄で、失敗の奈落よりも高き所にあるのに、キチガイ地獄よりも栄光から遠い。
彼は賢くて、一見、そこにいるのが不思議に思える。
けれども、彼は賢くあろうとするから、失敗も成功もしない。
彼の賢さは、失敗しないから見える幻。
彼は常に安全地帯にいて、「君子危うきに近寄らず」、賢人として愚者の中に君臨している。
だけど、彼はそうやって安全地帯に閉じこめられて、抜け出せない。
愚者だらけの安全地帯に防壁を築き上げて、自分で自分を閉じこめて。
そうやって、偽りの賢さに縋り付いて離れられなくなる。
だから、賢明であろうとする敗残者は、みんなこれに注意するべきなの。
それは違う。
「恋人いない歴=年齢」「童貞」であることそのものが犯罪だとみなされている。
http://anond.hatelabo.jp/20071115020434
http://anond.hatelabo.jp/20071115022358
休むという選択肢がベストなのかな。ふーむ。来春で一旦契約が切れるから考えてみる。
一応蓄えはあるんだが、恋人が年下なので、自分が稼いでおかないとという気持ちがある。結婚とかさ。
そういう未来のことを考えるんだから死ぬことはないだろうとも思う。
こんな夜中に話を聞いてくれてありがとう。
そこまで嫌悪される非モテという人種が具体的にどういう人間なのかを教えて欲しい。
どうも、言葉の定義がわからないまま聞いているようだ。
非モテというのは恋愛至上主義的社会を批判しつつもモテに対するルサンチマンを溜め込んでおり本心では異性と交遊したいと熱望しているが恋愛至上主義的社会の枠であるモテ形式にハマるのは俺のプライドが許さない的自意識の塊マンだと思っていたんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20071115015805
http://anond.hatelabo.jp/20071115020434 この増田さんもいっているが。
私もそんなかんじが続いて、仕事やめちゃった。
それはそれで、今ちょっとたいへん。
なので、人にはお勧めしない。
でも、人生長い。
ちょっと休んで、遠くを眺めてみましょう。
恋人にも、甘えてみたら?
桶狭間の戦いも全然違うらしいし、徳川家康は影武者らしいし、沖縄の変なのとか従軍慰安婦なんか目じゃない嘘を歴史として教えているんだよなあ。
アンケートの結果、中止の意見が過半数を超えた場合、今年のクリスマス及びクリスマスイブは中止となります。
http://q.hatena.ne.jp/1195052338
一般人の発言ならば許されることでも、非モテが口にしたら非難を浴びる類の言説がある。
「彼女が欲しい」という願望もその一種で、非モテが不用意にこう言ったら
「タバコ嫌いっす」って人前で言っても
「ふーん」とか「俺もーあたしもー」だけど
「酒は苦手で・・・」ってたったら
まるで人ではないかのような目で見られる。
仕方ないので必要に迫れられた場合は
アルコール度数小数点以下のフルーツやカルピスが混ざったのをチョビチョビやってる。
そして酔う。動悸が激しくなる。頭痛い。
「こんなんで酔うの!?」
うるせぇ、酔っ払いは天国にでも行って帰ってきてろ。
生きているとか幸せとか実感できないのは当然として、それらがどうでもよくなるのがこわい。
以前抑うつになったとき、医者には冗談交じりに「親が病気にでもなって御覧なさい、それどころじゃなくなるから」と言われた。
実際仕事が暇な時ほど余計なことを考えて暗い思考回路をぐるぐると回ってしまう。それは否定しない。
だが、仕事に忙殺、文字通り殺されるような毎日を送っていると、ふとどうでもよくなっている自分に気づくのだ。
あれほど強く私を現世に引き止めた親への情すら失いつつある。死にたいとは思わないが、自分の命を含め何かを失うことに恐れを感じたりもできなくなった。
人への関心が薄れてしまい、密な連絡も取れなくなった。恋人には捨てられるかもしれない。
明らかによくない状況なのだろうとは思う。
だが、どうにかしなくてはという焦りも、だんだんとわかなくなってきた。
斜面を惰性ですべり行く汽車のようだ。忙しく手足を回してはいるけれど、私がどうにかしたくて動いているわけじゃない。
このまま走り降りて崖に落ちる前に、ブレーキをかける術はあるのだろうか。
ただの卑怯を糊塗するものだ。
たった今パブリックコメントを提出しましたが、結果発表では意見は文化庁に要約されてしまうので、もったいないのでここにも書くことにしました。
同様の趣旨を送りたい方は、どうぞご利用ください。
記録媒体において、最も汎用的なデジタル記録媒体である紙についても検討をすべきである。紙がデジタルなデータを記録する媒体としても用いることができることは、バーコードやQRコードの普及によって明らかになっている。
現在の技術ではA4コピー用紙2,500枚でCD-R1枚と同程度の容量を記憶できることが明らかになっていることから、2,500枚につきCD-R1枚と同程度の補償金を上乗せすることとし、製紙業者に協力義務を課すべきである。実際には私的録音録画に使われない紙も相当数見込まれるが、これらについては従来の記録媒体同様に申告により返金する方式を導入すればよい。
現在、デジタルデータを紙にプリントアウトして保存するソフト(例・http://ronja.twibright.com/optar/)などが実用化の段階に入っており、今後紙にデジタルデータを記録する需要はますます増加するものと考えられる。これに対して何ら手当てを行なわないことは、紙と同様の利用をされている他のデジタル記録媒体のユーザーに私的録音録画補償金の負担を押しつけることとなり、制度の正当性に疑問を投げかけ、根幹を揺るがすことになる。紙に対して私的録音録画補償金制度を適用しないのであれば、他のデジタル記録媒体に対する私的録音録画補償金をも廃止すべきである。