今日、人からつまらないことで揶揄されて、それになんとなく腹を立て、その勢いで他の人を揶揄するようなことをあーだーこーだわめいてしまった。
後から考えれば、ちょっと馬鹿にされたりからかわれたぐらいで、腹を立てる必要は全然なかった。自分で笑いにしちゃうか、それが無理なら肩をすくめてやり過ごしておけば良かった。
つくづく、俺は未熟だなー。
でもこういうことを反省したりできるようになったのもつい最近のことだし、以前よりは少しずつましになっているということで、あまり自己嫌悪に陥らないようにします。
私もうつ状態になって精神科通ってたんだけど、いろいろ医者と話をして職場が原因だろうと分かった。すると「ふーむ、じゃあ会社やめますか」と医者が言うのですごく驚いた。うつの治し方としては「職場を辞めたりなど大きく環境を変えない方が良い」っていうのが定石らしく、何を読んでもそう書いてあるので辞めたりしない方がいいんだろうと思ってたんだけど、医者が言うには「いや、本にはそう書いてあるけど、実際は辞めてストレス源がなくなるとスーッと良くなることがすごく多い」らしい。
答えてくれてありがとう。
非常に参考になった。
元増田の「情報」、「処理」という言葉の使い方、面白くてよい。
昔の小説なんか読んでると「いい若いもんが文学などにうつつを抜かしおって」みたいなシチュエーションがよく出てくる(気がする)。「文学みたいな金にならんもん」「役に立たないもん」「女子供の読む軽薄なもん」みたいなニュアンスだったりするけど、今のマンガとかアニメみたいな扱いだったんだろうか。んで文学青年は今で言うフリーターとかニート扱いだったりして。文学にも歴史にも詳しくないからよくわからんけど。
感受性が強いっていうのは、
既知の情報に対して新鮮さを感じられることだと思う。
これまでと違う新しい見方をできることだと思う。
未知の世界を感じることができるのは当たり前、
既知の世界を感じることができることこそ感受性の強さだと思う。
まずいというか薄い?
よい文章なんだが、勢いをもう少し抑えた方が好みかな。そうすると、結論が生きる気がする。
追記
書いてある内容については、ほぼ同意。その上で、では元増田にとって「感受性が強い」とはどのようなものなのかを教えてもらえたら嬉しいな。
ふと考えたんだけど、当たり前のことかもしれないけど、ちょっと聞いてくれ。
俺たちは毎日恐ろしいほど大量の情報にさらされている。
だが、すでに知っている情報も少なくない。
既知の情報は処理しない。
子供の場合はどうかといえば、
そりゃもう知らないことばっかりだから
いろんな情報を処理しなきゃいけない。
先生が言うことだとか友達が考えてることだとか擦りむいた傷の痛みとか汗が乾く早さだとか約束を破ったときの罪悪感だとかブランコのきしむ音とか歩き方の変な人のこととか公園のダンゴムシのこととか草の味だとかおばちゃんの乗った自転車は急に止まれないこととか雲の形とか夕暮れの色合いだとか今日の晩ご飯を楽しみにする気持ちだとか冬の匂いだとか回鍋肉は中国の料理だとか夜の悲しさだとか水を飲みすぎるとおねしょするとかお母さんが一緒に遊んでくれる楽しさだとかお父さんが怒ると怖いことだとか布団がないと風邪をひくこととかいつかはみんな死んでしまうこととか。
とにかく覚えることが多すぎる。
だから、ときたまその情報を処理し損ねて、おかしなことを言ったりする。
それを見て大人は小さな詩人だなんて言って「子供は感受性が強い」なんて言う。
でも違う。
情報を正しく処理できなかっただけだ。
感受性が強いっていうか、ただ単にむき出しなだけだ。
むけたばかりのおちんぽみたいなもんだ。
そうやっていつも弱者は強者の餌にされるわけですね。
そんな地域(地方)が多くなっているんじゃないですか?
大きな病院は自治体が経営する病院しかなく、病院及びその自治体の経営状態が芳しくない
または高度先進医療をうけられる病院が少ないという地域は少なくないと思います
救急指定を取り消す総合病院も少なくないですし・・・都市部と周辺部での医療格差の大きさは
小さくない問題かと存じます
みなさまおそろいになりましたか?それでは。
信仰のある方、特定の宗教に帰依している方はその教義に従って儀式を開始してください。
宗教を持たない方は本日一日の食事のために何を殺戮してきたか、何を犠牲にしたか、どんな人やモノどもがあなたのために動いたか、あなたがこの食事を取ることで何が喪われるかについて想いをめぐらしてください。
私と同じ十字凄教の方はご唱和ください。
「天にまします我らが神よ、…
ほっときゃいいんじゃないの?