とりあえず、車のナンバーからは車の所有者の氏名と住所が割と簡単に割り出せるって事は覚えておいた方がいいよ。
http://housefoods.jp/data/curry/column/column12.html
■〈甘口〉〈辛口〉などの区別と辛味順位
ハウスのカレー製品には、辛味順位とは別に、〈甘口〉〈中辛〉〈辛口〉などの分類がありますが、こちらはバーモントカレー、こくまろカレーなどそれぞれのブランドの中での辛さの度合いを示すものです。ですから同じ〈甘口〉となっていても、全体に辛さを押さえているバーモントカレーの場合は辛味順位は「1」なのに対して、辛みが強くて大人向きのジャワカレーの〈甘口〉は「3」と、違っているのです。
自分の男性器が他とは違う事に悩んでいる。といっても「サイズ」や「機能」についてではなくて。確かにサイズは中の下ぐらいだと思っているし、仮性包茎ではあるけど何ら支障はきたしていない筈なので。
アレは下向きに生えているモノというのが、どうも一般常識らしい。が、自分のブツは身体に対して真横に生えている感じだ。
「Wikipedia - 陰茎」にもある、保健体育でお馴染みの「男性生殖器解剖図」の体を真横から図では、陰茎は下を向き陰嚢と共に足の影に隠れて見えない位置にあるような感じなのだが、自分の場合は男性器がこの図よりも全体的にかなり前寄りで、真横から見ても陰茎と陰嚢全体が前に飛び出していて丸見えなのだ。
これがどういった不具合を引き起こしているのかといえば、「平常時でもズボンがもっこりテントになるので恥ずかしい」「うっかり薄手のジャージやトレパンを穿いたりするとアウト」「常に圧迫されて擦れて痛い」「巨根と勝手に勘違いされ、後でガッカリされる」「屹立の角度がほぼ身体と平行で、下腹部と密着する様が無様」等々何一つ良い事がない。何とか矯正する方法が無いものだろうか。
社会保険庁のクズのようなやつ責められて当然。
同意。
こういう類の公の人達はきちんとした尊敬とそれなりの報酬がないと汚職に走る可能性がある。いくら政治力がきちんとしていて立法で締め付けをかけようとしても,けっきょく公権力を行使するのは公務員や官僚だ。現場が崩れたらどうしようもないだろうな。
最近、公務員ってだけで人をネガティブに評価するやつ多いよね。
http://anond.hatelabo.jp/20070812200016
大体、子どもは昔々の物語なんかどうでもいいのだ。もっと世間や社会のことが知りたいのだ。
小学生は中学校のことが知りたいし、中学生は高校のことが知りたいのだ。東京の同年代の生活が知りたいのだ。
自分の子供の頃に引き寄せて考えてみると、学校推薦図書のラインナップたるや、おそらく20年前とそう変わらないのではないか、という事に気づき、少なからず愕然とする部分があるのが、泣ける。
ほかにも、大人から見た小中高の頃というのは、「子供時代」という十把一絡げのカテゴリーの中に記憶が押し込まれてしまっている事が多いため、扱いが大雑把になってしまう嫌いはある。これに対し、自分の将来に対してさまざまな希望と不安を抱いている子たちにとっては、自分の属する世代の少し先の、まだ見知らぬ世界が気になるのは、ある意味当然のことであるとは言える。
良識ある大人は何も子どもが欲しいと思っているものを与えてくれない。子どもを使って商売をしようと思ってる大人だけが、
欲しいものを与えてくれるのだ。代わりのものも与えられないくせに、罵倒して放っておいて大人面されれば、
そりゃー大人ウゼエって話になるわな。
詳細は『中二病』の項目に解説をゆずるとして、子供世代から見た「世の中について知りたいこと」というものと、大人世代から振り返ってみた「子供時代にできれば知っておくべきだったこと」が違うのは、至極当然の話である。
だいたい『良薬は口に苦し』という言葉の通り、本当に人間にとって有用なものは、けっして口当たりの良いものなどではなく、むしろ苦味を感じることのほうが多いのだ。だからといって、それを嫌がって自分の好きなものばかり食べていれば、いつしかビタミンの欠乏やインスリンの分泌過多などを起こして、やがては身体を壊すハメになる。
「自分の気に入ったものが得られない」といった理由で周囲の大人を憎み、「自分の好むものを与えてくれる大人」にホイホイと付いていった結果、道を誤ってヤクザのパシリになったり、あるいはアングラな業界に入ってしまったりする未成年が、世の中にいったいどれだけいるのかと想像すると、自分は心が寒くなる。
そういった、まさに「似たような失敗をする者」が少しでも減る事を願って、先人たちは『地獄への道は善意で敷き詰められている』といったようなことわざを、貴重なメッセージとして後世に残してくれているのである。
だがそれでも、きょうもまた悲喜劇は繰り返される。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」のことわざの通り、身を以て体感することでしか予防・学習ができないという悲しい性(さが)を持っているのが、人間というものだからだ。ましてや、人生経験も浅い子たちにとって、「今はつらいが、将来それがきっと役に立つ時が来る」ことの意味が実感できるには、彼らの分別というものはあまりに浅い。そしてそれを導き正すのは、大人たちの努めというものである。
だからこそ、大人は子供たちにウザがられても、「世の中でやっていい事・悪い事」「子供時代に最低限しなくてはならない事」「歴史を元にしたケーススタディ」を、口を酸っぱくして教えるものなのだ。近い将来に、彼ら・彼女らが、その意味を実感してくれる事を願って。
「もう大丈夫かな。」っていってるから大丈夫なんじゃないの?たぶん。
この文章をカタカナなしで書けたら凄いと思った。