2007-08-13

Re:そりゃ、どう思った?って聞いたら「リアルだ」「感動した」って言

http://anond.hatelabo.jp/20070812200016

大体、子どもは昔々の物語なんかどうでもいいのだ。もっと世間や社会のことが知りたいのだ。

小学生中学校のことが知りたいし、中学生高校のことが知りたいのだ。東京の同年代の生活が知りたいのだ。

だのに国語教科書も推薦図書も、こんなガキいねーよっていう、子どもの目から見ても

オッサンの時代の子どもの話(しかも幻想妄想)だろ、といったズレたものしかない。

自分の子供の頃に引き寄せて考えてみると、学校推薦図書のラインナップたるや、おそらく20年前とそう変わらないのではないか、という事に気づき、少なからず愕然とする部分があるのが、泣ける。

ほかにも、大人から見た小中高の頃というのは、「子供時代」という十把一絡げのカテゴリーの中に記憶押し込まれてしまっている事が多いため、扱いが大雑把になってしまう嫌いはある。これに対し、自分の将来に対してさまざまな希望と不安を抱いている子たちにとっては、自分の属する世代の少し先の、まだ見知らぬ世界が気になるのは、ある意味当然のことであるとは言える。

良識ある大人は何も子どもが欲しいと思っているものを与えてくれない。子どもを使って商売をしようと思ってる大人だけが、

欲しいものを与えてくれるのだ。代わりのものも与えられないくせに、罵倒して放っておいて大人面されれば、

そりゃー大人ウゼエって話になるわな。

詳細は『中二病』の項目に解説をゆずるとして、子供世代から見た「世の中について知りたいこと」というものと、大人世代から振り返ってみた「子供時代にできれば知っておくべきだったこと」が違うのは、至極当然の話である。

だいたい『良薬は口に苦し』という言葉の通り、本当に人間にとって有用なものは、けっして口当たりの良いものなどではなく、むしろ苦味を感じることのほうが多いのだ。だからといって、それを嫌がって自分の好きなものばかり食べていれば、いつしかビタミンの欠乏やインスリンの分泌過多などを起こして、やがては身体を壊すハメになる。

「自分の気に入ったものが得られない」といった理由で周囲の大人を憎み、「自分の好むものを与えてくれる大人」にホイホイと付いていった結果、道を誤ってヤクザパシリになったり、あるいはアングラ業界に入ってしまったりする未成年が、世の中にいったいどれだけいるのかと想像すると、自分は心が寒くなる。
 そういった、まさに「似たような失敗をする者」が少しでも減る事を願って、先人たちは『地獄への道は善意で敷き詰められている』といったようなことわざを、貴重なメッセージとして後世に残してくれているのである。

だがそれでも、きょうもまた悲喜劇は繰り返される。「愚者は経験に学び、賢者歴史に学ぶ」のことわざの通り、身を以て体感することでしか予防・学習ができないという悲しい性(さが)を持っているのが、人間というものだからだ。ましてや、人生経験も浅い子たちにとって、「今はつらいが、将来それがきっと役に立つ時が来る」ことの意味が実感できるには、彼らの分別というものはあまりに浅い。そしてそれを導き正すのは、大人たちの努めというものである。

だからこそ、大人は子供たちにウザがられても、「世の中でやっていい事・悪い事」「子供時代に最低限しなくてはならない事」「歴史を元にしたケーススタディ」を、口を酸っぱくして教えるものなのだ。近い将来に、彼ら・彼女らが、その意味を実感してくれる事を願って。

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