2007-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20070810163450

「Bが何を食べたいか」に対する答であろうが、「Aに「何食べたい?」と今ここで聞かれたらBはなんと答えますか?」という問いに対する答であろうが、その二つの答えが直感として結びついているものであるならば実社会においてなんの問題もないだろう。

人に物を聞く気が起こらない。返ってくるのは、どうせ一個層の違う別の問いに対する答。

この文章からすると君は君自身の問題に対する答えは常に真であると読めるのだが果たしてそうか?

自分自身に問う時でも結局同じことが起こる。

元記事の例を利用するならこうか。

「俺は今日何食べたいかなぁ・・・」「・・・ラーメン食べよう」

コレに対する明確な答えを君自身は出すことができるだろうか?

きっとうまくいかないだろう。どんなに考えても君の言う「一個層の違う別の問いに対する答」になるはずだ。

ラーメンを食べたいのは何故か?きっと君はこう言う。

「なんでラーメン食べたいんだ?」「・・・さっきCMでやってたのを見て食べたくなった」

ははは、ほぅら別の答えが出てきた。もっと考えてみよう

CMでやってたのを見て食べたくなったのは何故?」「・・・うまそうだったから」

「うまそうなのは何故?」「・・・好きだから」

「好きなのはなぜ?」「・・・んー、理由なんかねーよ!なんとなく食べたいと思っただけだよ!」

どこまで突き詰めてもおそらく最終的には「なんとなくそう思ったから」に行き着くだろう。

これは結局のところ「俺は何が食べたいのか」の答えにはならない。だってそれが真実であることを証明できないんだから。

え?「俺は何が食べたいのか」=「なんとなくそう思ったから」が真実になるんじゃないかって?

本当にそう思うかい?もしそう思うのであれば君は思考停止している。

「なんとなくそう思ったから」という答えすら「なんとなくそう思ったから」が理由なのだ。つまり無限ループするってことだ。

結局自分自身の問いですらそれが本当に食べたかったものなのかの答えにならない。

つまり「俺自身が「何食べたい?」と今思ったとして俺はなんと答えますか?」という問いに対する答になるわけで。

決して他人事ではない。

もう一度言う。

増田は、

人に物を聞く気が起こらない。返ってくるのは、どうせ一個層の違う別の問いに対する答。

と言っているが、自分自身の思考でも同じ状態になっているのに自分自身のことなら気にならないのに、人に聞く時だけ気になるようである。

おかしな話だ。

自分を許せるのなら他人も許せるはずだ。

つまり、結局のところ・・・・

考えすぎだ。

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