良かった。
私の苦悩の元凶は確かに居るんだ。
憎むべき対象はちゃんと存在しているんだ。
答えをくれてありがとうございました。
そんなあなたたちを憎みながら、生きている限り作品を作り続けようと思います。
さっさと氏んじゃえ(←愛情表現ですよw)
http://anond.hatelabo.jp/20070605205256
実体験を聞きたいのであって理屈なんてどうでもいいんよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070605211738
喫煙って続けるもんなんだな。
飽き性の俺には向いてないかも試練。
生命の危機を体が感じたとき。レム睡眠もその一種と見なすことができる。そのほかにも、個人差は大きいが、極度の疲労、急なストレス、体表温の変化、発熱性消耗性疾患による高熱、など。よく、周辺環境の急変により生殖行動が励起するミジンコなどになぞらえて論じられる。
分かりにくい書き方した自分を正当化するなよ。
本屋に行けば美しい女性の写真がたくさん載ってる本が売られていますが、ちょっと考えてみればこれってかなり危険なことです。仮に、現在いる人類が絶滅したとしましょう。行きすぎた科学技術による世界大戦が原因です。日本の高橋名人による核のスイッチ16連射が決定的な引き金となり、人類は滅亡します。そして、それから何千年・何万年たち新たな人類が誕生し、文明を築きます。彼らは私たちの痕跡に気づき、調査を始めるはずです。核の灰が降り積もった地面をチャールズ・ブロンソンばりに穴を掘って遺跡を探す彼ら。口笛は陽気です。そんな彼らが発掘した遺跡が、もし新宿紀伊國屋書店のアイドル写真集コーナーだったらどうでしょう。「昔の人たちはこんなにキレイな人ばっかりだったんだ!」って勘違いしてしまうかもしれませんよ。中学生のズリネタはもっぱら歴史の教科書となり、事実は歪められます。これは由々しき問題です。これを防ぐために、今すぐにでもブスの写真集を発売し「ブスもいたんだ」と未来のために残すべきです。そうしないとブス史は永遠に失われたままになります。この時代にはこんなブスがいたんだと見られるようになったら面白いと思いませんか。僕は彼女らを記録に残る存在にしたいのです。
作品。
正直、どんな作品であっても、作家がどんなパーソナリティーの持ち主かということにはまったく興味がない。
ああ、もうあの偉大な作品たちは生み出されないのだ、という悲しみで身悶える。
今さっきグーグルでググッたお。同じページが出てきたお。
アジアカップのある七月までがんばって生き延びるお。
一生に応援しようお、おっおっおっ。
池波正太郎が亡くなったとき、文章の途中で「絶筆」となっているのを見て、ああもうこの先は決して書かれることがないんだ、と、愕然としたなあ。
池波正太郎による作品が好きだったから、彼とその作品は切っても切り離せないのだが、やはり作品が読めなくなることがなによりショックだ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/data/schedule2007.html
そんなもんヤフーでググれ。詩ねかす。
なんかよっぽど女から酷い目にあわされたんだな、おまえ。
自分の社会的立場を守るために、人には言えない趣味を隠すことの何がいけないんだ?自己正当化って、「私が隠しているのは、周りが理解しないからです、私は正しいです!」って言うことか?どこを読んだらそうなるんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070605213354
何を基準に1年分を定めるんだろうか。
律儀に「日本人1人あたりの平均消費量」を統計資料などから拾ってくる場合もあるし、国内年間売り上げを全人口で割る場合もある。料理のレシピから割り出される1人前×365のこともある。かと思えば、単に365個、365本ということもあるし、365×3(朝昼晩)の場合もあるし、「かなりたくさん」を1年分としてしまうこともある。結構適当で、言ったもん勝ち的なところはあるね。
そんなあなたに聞きたい
自分がファンである作品(作者が生きている限り続編が作られる)の作り手がが死んだ時
「もう作品が見れなくなるから悲しい」と思いますか?
「作者がいなくなったから悲しい」と思いますか?
それとも両方ですか?
どちらでもないですか?
一体、何について悲しみます?
(悲しまないという答えもアリですが)
親愛の表現じゃん……
えー、結局そこに着地するのかYO!