アフィリ狙いの胡散臭い芸能ニュースをエントリするためだけのアカウントが増殖してるっぽい。
昔ながらのエロサイトにありがちな、ページ一杯にキーワードを羅列する偽SEOのおかげで、意味もなくおとなり日記に食い込んでくるのがムカつく。
分かるなぁそれ。
セックスするために、必死になって女の子を口説こうとする奴とか、
そういうのって羨ましい。欲望が羨ましい。
要は、はてな界隈で話題になる、「資本&恋愛至上主義的社会的脅迫」の根本はコレなんだよね。
ヘテロで性欲もあるけど、女の子と居たって別に楽しいと思わない人間。
インターネットをしていた方が、皆とギャーギャー騒ぐより楽しい人間。
こういう人間って確かに居て、それは異常者でも何でもないんだよ。
それって辛いことだよなぁ・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20070213030319
他人の欲望の水準に合わせる努力している。
名言だと思います。
友達と話を合わせるためだけに見たくもないテレビを見たり、好きでもない歌を覚えたり…って話に似てますね。似てないか?まあいいや。
大げさに考えられてるみたいですけど、ご飯食べてれば死にませんよ。だから、最低限の生欲と、食い扶持さえあれば生きるに充分足ります。まあ、恐らくその定義が、周りから脱落しないような関係性を維持した普通の生活を生きると言うか(てか社会的に…って書いてありますね。書き終えてから気づきました。すいません。)、最低限の原理を生きると言うかの違いなんでしょうけど、脱落即ち死ではないのだから、もっと気楽に構えてみては?と思った次第です。って、やっぱりずれてますね。すいません。でもまあ、そうやって生きてます。
本物のロボットじゃないんだから、勿論生きていたい。それは単なる欲求だ。死にたくないし、生きていたい。
生きていたいから生きていたい。同意反復。それでオーケー。
問題は欲望の強度で。
確かに楽しいと思うときはある。
音楽聴きながら本読んだり、好きな女の子と映画観たり酒飲んだり。そんな些細な事。本当に。
楽しいよね? って確認してる。いつも。
でもそれだけ。どこかに繋がったりしない。割と閉じてるし、それでいいと思ってる。
そういう意味の強度の低さ。
それだけじゃ生きていけない。
この社会(と言うか私が関係性の中に組み込まれるこの社会)の要求に応えられるだけのインセンティヴが働かない。
だから、平たく言うと、他人の欲望の水準に合わせる。努力している。
さもそれが「ある」ように振る舞わなければ、ここから、この関係性から脱落してしまうし、支えきれない。
怠慢だと思うだろうか? だから努力はしている。ある意味義務だと思ってる。
欲しくもないもの、欲しくもない関係性を望むことが。
でも理解はできない。他人の欲望ってやつは。気持ち悪いし怖い。
アメーバかなんかの単細胞生物が細胞分裂するような気味の悪さを感じる。
いつか、支えきれなくなったら、私は、社会的には死んじゃうんだろうな。
それも仕方の無いことかも、と思う。
ワーキングプアワーキングプア言うてますけど地方でも深刻な技術者不足です
(プアだと言われる)給与が都市部水準のままだと地方でかなりウハウハ生活なんですけどー?
http://anond.hatelabo.jp/20070213014101
「目標に向かって進んでいるのではなく、自分の敷いた理想のレールから、外れない事を目標に生きている」
「自分だけの人生の目標を持たないまま、ただただ社会的な成功を積み重ねてしまったがために、そのレールから外れる事が出来なくなってしまったのである」
「自分だけの価値観を持っていないため、別の生き方を選ぶことが、すでに出来ない脳になってしまっているのである」
まさに、思い当たる節があります。
Aがかつてどのような成功体験を経験したのかについては、私は、長年の付き合いではないため分かりかねますが、少なくとも彼女は受験と言う社会的な成功は治めたでしょう。しかし、大学受験は就職を確かに保障するわけでもなく、ちょうど就職活動の頃から、何らかの挫折があったようです。
成功したら成功したで、「結婚の成功」自体を目標にしてしまう考え方になってるから、結婚生活がうまく行くかは、相手の理解にかかってるね。
さらに、その「結婚の成功」を構成しているのも、結婚や家族などに関するあらゆる社会的成功であるでしょうから、「成功」を認識できない苦痛は死ぬまで続くでしょうね。
成功したら、まだ前進の余地はあるでしょうが、もしも結婚できない場合は、
「高学歴、高地位と結婚」以外の人生の選択肢を選ぶことが出来ないので、何歳になっても、その「高学歴、高地位と結婚」を求めて彷徨う
私もその可能性について考えていましたが、人は常にあらゆる環境とともにあるとすれば、(社会的な変化、あるいは、自らが住む場所を変えることによって立ち現れる)別の価値が彼女を救いやしないかと夢想せずにはいられません。
また、こういった「成功すれば成功、失敗すれば失敗」という考え方は、心理学的には変更可能なものなのでしょうか?
これも興味のあるところです。
はまちちゃんがHamachiya2としてブログをやるのではなく、増田で活動をしていたらどうなっただろう。笑い男みたいになったのでは?と考える。多くの模倣犯が出て、周りは、どれが本物のはまちちゃんか議論する。大半は模倣犯とも言えない程度のレベルだけど、中には専門家もいて、脆弱性が次々に暴かれる…って、タチのちょっと良い2chだな。そんな妄想。
朴念仁侍です。エントリ数自体は少ないので、「陰陽師は大変なものを盗んでいきました」を聴きながら、今までのエントリに対してコピペで一気にタグ付けを行いました。
そういうひとは見合い結婚で*幸せ*をつかめるんじゃないかと思う。心配なら、合コンっぽいお見合いを開催してるような結婚相談所とか探して紹介してあげればいいんじゃないかな? 男は医者限定の集団見合いなんてのもあるそうじゃないか。うってつけじゃない?
そうなんですよね。私も、理想の結婚相手に手っ取り早く出会いたいのならと、お見合いや結婚相談所を積極的に勧めました。その後、Aは嬉々として数個の結婚相談所に登録。お見合いパーティにも参加したそうです(お金払って)。しかし、期待したほどの相手がいなかったと、1回の試みで断念してしまいました(理想が高いのか、登録者の質の問題なのか定かではありませんが、確かに医師限定のパーティではありませんでした)。
お見合いパーティの現場(医師などの専門職がいいですかね)、実際の参加者のクオリティ、成功率などに興味があるので一度参加してみようかなと思います。かわいくないけど。
Aのように男性を道具化(手段化)する女性を好きになる男性は難しくとも、Aと同じように女性を道具化(手段化)する男性はいる
にゃるほど。
やはりAという「女」が積極的に結婚相手を探すことで獲物を獲ることは難しいのでしょうね。それよりも、Aは、自身の戦略が気づかれないよう、劣等感やナーバスな発言は一切せず、美貌と明るさを提供し、男に利用されることを待つほうが得策ですな。ま、利用されたい男に利用されるのには、それなりの技量が必要でしょうが。
やる気があるのなら、いままでのエントリのタイトルに [ ] で括った共通の「タグ」を設定するとよいのではないか。
[朴]のようなの。タイトル頭の「朴念仁侍」を [ ] で括るだけでもおk
いずれにせよ見やすく編集するのはとりあえず2月14日よりあとでいいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070213005326
前に読んだ何かの心理分析の本にそういうのあったな。
覚えてる限り書くと、
「成功すれば成功、失敗すれば失敗」という考え方は、本末転倒でありとても危険な考え方だ。
こういった考え方を持ってしまっている人間は、必ず不安を抱えて生きることになる。
何故なら、彼らは目標に向かって進んでいるのではなく、自分の敷いた理想のレールから、外れない事を目標に生きているからだ。成功しても、成功しても、幸せになることは無いのである。
そして、このような考え方は、「たまたま成功を重ねた人間」に多く見られる。
たまたま良い容姿を持って生まれ、たまたま受験に難なく成功し、たまたま良い恋愛をし、たまたま良い人脈に囲まれ、たまたま良い職場に恵まれ、、、といった具合だ。
彼らは、自分だけの人生の目標を持たないまま、ただただ社会的な成功を積み重ねてしまったがために、そのレールから外れる事が出来なくなってしまったのである。
そしてその成功目標こそが、自分の目標であると錯覚してしまっている。
キチンとした自分だけの目標があれば、一時の成功や失敗は関係ない。
例え、社会的なレールから一時的に外れたとしても、その目標がある限り、その人はその目標と言う名の価値感によって、様々な方法を選択し、常に前を向いて懸命に生きる事が出来るだろう。
しかし、「成功すれば成功、失敗すれば失敗」という考え方を持つような人は、目の前にある成功以外、別の方法を選ぶことが出来ないのである。
自分だけの目標を持っていないため、幸せになる方法が分からないのだ。したがって、一般的な社会的価値感に支配されながら人生を進むことになる。
きっと、その彼女も、たまたま成功を重ねて生きた人なんじゃないかな。
だから、「高収入、高地位の男性との結婚」以外のレールを選択することが出来ない。
成功したら成功したで、「結婚の成功」自体を目標にしてしまう考え方になってるから、
結婚生活がうまく行くかは、相手の理解にかかってるね。
一番怖いのは、こういう考え方になってしまうと、目の前の成功だけに捕らわれてしまうから、
「高学歴、高地位と結婚」以外の人生の選択肢を選ぶことが出来ないので、何歳になっても、
扨、彼氏に向かって果たし状を突きつけるのは新ジャンルに成り得るのでしょうか。
手順については、ほぼ問題なし。「此れは理科の実験だ」と思いながら材料を混ぜ合わせ、ブラウニーの生地を順調に紙箱に投入、後はオーブンで焼き上がるのを待つ。しかしながら、オーブンから漂う無闇に甘ったるい匂いが、近くで洗い物をしていた私の胃を直撃直撃一撃必殺短気決戦即KO。出来上がってから、軽く冷ましたブラウニーを口に運ぼうとするも、全くもって食す気にならず。
結局、甘い物が苦手な母上と、甘い物と酒が三度の飯より好きな父上に試食して貰う事に。母上曰く問題なし(ただその後で胃を悪くしたようだが)、父上曰く甘くて旨いとの事。ナッツの分量も此れ位のものだろうし、次も此の儘のレシピで作成しても大丈夫だ、流石にキットを使うと失敗がないな、という評価を貰う。流石に食べきれないので半分残しておき、ラッピングして明日逢う親友に「友チョコ」として進呈する予定。
扨、13日の真夜中にもう一度ブラウニーを作り、14日の夕方、いよいよ決戦である。身を清め、褌と晒を締めて挑む所存。
そういうひとは見合い結婚で*幸せ*をつかめるんじゃないかと思う。心配なら、合コンっぽいお見合いを開催してるような結婚相談所とか探して紹介してあげればいいんじゃないかな? 男は医者限定の集団見合いなんてのもあるそうじゃないか。うってつけじゃない?
でも生欲があるじゃないですか。
欲望に嫉妬してしまう。
しかし、欲望がないと生きていけなくなるので困る。最近は食欲もないし性欲もない。睡眠だけは好きだ。意識がなくなるから。これは欲求か。
酒も飲む。意識が鈍化するから。嫌な事を忘れられる。酒が好きなわけではない。
欲望とは他人の欲望の事である、とよく言うが、正にそんな感じで毎日他人の欲望の真似ばかりで生きているような気分だ。
性欲、食欲、権力欲、物欲、自己顕示欲。大まかにそんなところ。
誰と誰が付き合ってるだの、誰が子供堕しただの、どこの店の○○が美味いだの、ランチはどこそこがいいだの、クルマがどうだの、スポーツがどうだの、日経に何て書いてあっただの、仕事が忙しいだの、誰々が自分の事をどうこう言ってるだの、週末の予定が埋まってるだの埋まって無いだの、仕事とは○○であるべきだとか、そろそろ結婚したいだの。そんな一切合切に興味が無くて、そんな事に夢中になってる他人を見てると理解できなくて不安になってくる。「こいつら生きてるんだな」と思って気持ち悪くなってしまう。私は生きていないので、生きるためにそんな彼らの欲望を真似するのだ。
世の中というと漠然としすぎているが、所謂社会ってのは、そんな欲望を他人同士が差し向け合って流通させることで、成り立っているのだろうな、と漠然と思う。あくまでも漠然とそう感じるだけだ。実感があるわけじゃない。交換する欲望が無ければ、生きていくことはできない。
ふと気づくと、誰かの欲望をトレースするロボットになったような気分になる。
でも生きていたいので。