はてなの中で検索してみると、社会が許さない site:d.hatena.ne.jp
結構少ないところがはてならしい。
社会に代弁させるというやわな権威主義者ははてなにはほどんどおらず、自らの言葉で語ることができるということだろうか。けどsite:d.hatena.ne.jpを外して検索してみると、「社会が許さない」と語る人は思ったよりは少ない。意外だ。巷にあふれている言葉だとおもったのだが、おれが生粋の2ちゃんねらーだからだろうか。
誰が何を書いても良い、という開かれた印象のもとに、恋愛の話はするなという圧力と恋愛の話をしてもいいじゃないかという圧力がぶつかりあうさまを眺めるのはなかなか楽しいことだ。もっとぶつかり合って、停滞前線でも形成すればいいんじゃなかろうか。
誰が何と言おうが、他人の記事に反応を余儀なくされながらも好き勝手に書けばいいと思う。それで停滞前線が発生するなら、発生させまくって長雨を降らせてみんなでうんざりすればいいと思う。
ところで私は恋愛の話をそろそろ増田に書き込みしはじめようと思う。
2chとそれ以外のユーザーというのはそれぞれ明確に住み分けているんだろうか?
はてなでブログを書き、2chで誰かを煽り、そして今ここでこんな
ことを書いている。
それぞれの場で書く内容、書ける内容は違うとしても大概のユーザーはそんな状況じゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20070118093618
江戸だけじゃなくて大正・明治までその精神はありましたね。それは知ってますけど自分がした話とどう関連するんですか?馬鹿だからわからないので教えてください。
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070117/p2
<<強姦>>の被害を受けたと申告した人は七名で全体の1・72%
母体は407名と言うことだと思うが、サンプルとしては少なすぎないだろうか。
強姦の比率はまぁそれでいいとしても、その7名から
と割合を算出するのはさすがに無茶では。70人ならまだしも。
の問題をスルーして良いわけでは決してない(むしろとても重要だ)が。
はてな匿名ダイアリーがなぜ日記たり得ないかというと、この上に表示されているタイトルというシステムがいかんのだと思うのだよ、俺は。君は日記帳に日記を書くときにタイトルつけるか?書かなきゃいいって話もあるが、そうするとどうも表示が締まらんのだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20070117225219
7:00 目が覚めた。2度寝しよう。
9:00 寝過ごした
9:33 バスが来ない
10:10 会社到着。もちろん遅刻。が、それでも社内で3番目に早かった。おかしい。
10:20 日記を書いてみようと思った。けど、ここまで書いて飽きた。
ってこれじゃ日記じゃないな。
俺は今の状況を2chにおき続けた敷居の崩壊と同じようなものだと思う。
インターネットが誰でも使えるようになり起こった敷居の崩壊。常時接続の時代での崩壊。
2chが知られるようになって到達の困難さの崩壊。2ch文化、半年ロムれ文化の書きづらさの崩壊。
一見さんでも書き込めるような雰囲気になり起こった敷居の崩壊。その上なんでもありに昇華された方向性を含め色々な物の崩壊。
まぁそれが良いって人もいるんだけど、俺は一概にそれはいいとも思えない。避けられない流れではあるからしょうがないのだが。
だからブログ一覧はちょっと食指が動かないなぁ…。
たとえば無職の人。彼らはふつう、仕事の話をされると傷つくなんて言わない。たとえ傷つくにしても、そんなみっともないことを主張しないのが大人ってもんでしょう。
そもそも、相手の立場も分からない・テーマも決まっていない、匿名の雑談で、その話題はつまらない・無駄なんて発言するのはかなりどうかしてると思うが。そういう時には、自分で面白い話題を振り、他人に関心を持ってもらうのが筋でしょうに。自分にとって楽しい・有益な話題をただ待ってる(そして気に入らない話題にケチをつける)なんて心底呆れる。どんだけスネっ子なんだか。うざい、じゃなくて、面白い話題を提供して、自分で人気やら場の空気やらを勝ち取らなきゃ。あ、これ恋愛にも通じるな。
まあともかく、雑談なんてものはバリートゥードであって、ここは匿名のリングなんだから。立派な覆面レスラーになって戦わなきゃ。
http://anond.hatelabo.jp/20070117102802
納豆売り場は相変わらず閑散としていた。
日曜日くらいには売ってるのかなぁ。
で。
説明の必要はないと思うけど。
...
「売ってない」と言われると、なぜだか食べたくなりませんか?
これはこれで、いつ買えるようになるのかな…。
http://anond.hatelabo.jp/20070118015630
http://www.janjan.jp/culture/0701/0701037552/1.php
著者もそれを指摘しており、社会の流れにおいて、日本の前近代における「男色」は同性愛を考察する格好の歴史的事例であるとしている。一般に同性愛者とは少数派で、人口の2??5%か、10%ぐらいの割合でいるといわれている。が、江戸時代の日本を見る限り、真実であるとは言いがたい。かつての日本では、バイセクシャルが一般的なものとされたからだ。
そんなに日記が読みたいなら各ブログサービスの新着ページ一覧とか読めばいいと思うよ。
ある記事に対するレスポンスの記事みたいなのは期待できないけどね。
http://www.cocolog-nifty.com/cocoflash/index.html