『リベラルは自民党を見習え。自民党的なある種の不潔さは、人間性の深さだ。人間は不潔で当たり前なのだ。みんな人間が不潔なことに気づいて、人間の不潔さを受け入れよう。』
『みんな当たり前のように差別していて、差別のある優しい世界もあるんだよ』
とか言い出す人。
そういう話をする根拠は、自身が差別より潔癖さとかで傷ついてきたことにあったりするのだろうけど、結局、差別で傷ついた人に対して『君が潔癖なのが原因』とか説教しそうな人にしか見えない。
結局『ある種の不潔さ』と『ある種』と限定して言ってるはずなのに、それが(本人が意図してるかどうかは別として)結局は見せかけで、結局どんな不潔さも許容することに最後はなってるというか、不潔さを批判する側しか問題視しないんだろうなぁという。
本音と建前のバランスという話だとしても、たいがいそういう人は、建前嫌いで本音ばかり強調して、本音で守れないものや建前で守られるものについて、つまり建前の効用については無視、もしくは見捨ててるように見える。
その建前とやらが労組と公務員と女とセクマイと外国人しか救わないってはっきりわかってるからね