映画やゲーム作品等で、「未知の恐怖」を謳いつつ、現代人は少しも未知の恐怖を描けていない
何故だろうか…
「未知の恐怖」といううたい文句は頻繁に使うけど
作品内では必ずその対象が、見てる側、受け手たちに、把握できるように設定をすべて教えてしまう癖のようなもの
受け手側からみた、情報の受け取り方、視点、目線、を少しも理解していない気がする
必ず全体像から入る癖
本当は受けてから見たら把握できる僅かな情報をつないで理解するようなものを
全体像から入って描写するような癖を持っている
要するに最初からネタバレしてから「これは未知の恐怖です」という
何ででしょうか?
Permalink | 記事への反応(2) | 08:02
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受け手の目線というものを軽視しているか、それか受け手の側の立場で物事を考える事をできない 必ず整合性から入ろうとする不思議
日本海外みんな作れない 作られる作品の内容のは、ただ痛めつけてるだけ http://anond.hatelabo.jp/20170515080202