2016-01-14

http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2016/01/13/215735

安全地帯から滑稽なもの揶揄するのが笑いの本質。(いわゆる”お笑い”に限らず)

毎度毎度カツオボール盆栽やら窓を割られる人の気持ちは?

何回も風呂にのび太やドラえもんが入ってくるしずかちゃん気持ちは?

チャップリン独裁者を見たユダヤ人気持ちは?

そんなもの無視しないと笑いは作れない。

自虐だったら許せる?同じ境遇コンプレックスを持っている人はどうする。

そして笑いだけじゃなくコンテンツとはそういうもの

映画小説ドラマも、オチに救いがあるかは作者次第

  • お前相当ズレとんな お前が挙げた例は全部笑いじゃないぞ

    • お約束の定番化されていて笑えないだけで、何度も割って怒られるカツオの滑稽さ、何度もきゃーのびたさんのエッチって言われる失敗をする滑稽さ、という脚本上完全にボケパートだ...

      • やれやれ本気で言ってるのか。 まずカツオな。 カツオがガラスを割るのは起承転結の転ではなく起なんだ。 「ガラスを割ったら面白い」なんて低級なオチ(そもそもオチてるか?)...

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