2015-09-10

「could have confused」に込められた気持ち

マークピーターセン著「続日本人英語」内の例文の一つ

I thought that what I had bought was a car wax,

but in fact it was a floor wax.

I cant imagine how I could have confused two such very different waxes.

私が買ったのはカーワックスだとばかり思っていたが実際には床用ワックスだった.

どうしてこんなにも違うワックスを間違えたのか見当もつかない.

I cant imagine how I confused two such very different waxes.

っていう単純な過去形だったらカーワックスと床ワックス混同することは、

ありえない間違いとまでは言えないということになるだろう。

カーワックスと床用ワックス混同などするはずがないこと(本人の主観的気持ち)を前提にした上で、

could have confused(二種類のワックス混同した「かもしれない」)、

もしくは、仮定法として理解して「違う種類のワックス混同できた(実際はしなかった」という

ありえないはずのことが起きたことに対する驚きの気持ちが、

could have confusedにこもってるんじゃないだろうか?

この例文の「could have confused」は、

「カーワックスと床用ワックス混同して買った」という客観的事実に対する主観的評価感情表明じゃなくて、

「カーワックスと床用ワックス混同して買うはずなどない」という主観的事実主観的信念)との相違に対する気持ち

こもってると理解した。

この文章の「could have confused」のcouldは、「能力」っていうより「可能性」のニュアンスだと思う。

間違った理解の可能性も十分にあるけど、現時点での自分の考えをメモしてみた。

※(実際には間違えていないのに(=間違えることなどありえないのに))間違えることもできた(=can=能力、可能性)

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