ある日俺が学校から帰ると、庭先でトマトが血まみれで倒れていた。
トマトは犬で、雑種で、七歳で、去勢されたオスで、もちろん可愛かった。
死骸のかたわらにはうちの兄貴が居て、金槌を左手にぼんやり立ち尽くしていた。
「俺(オイ)が、やった」
こっちが聞いてもいないのに兄貴はそう、言った。俺は気持ちの整理というか混乱というか、何で兄貴が普段可愛がっていたトマトを殴り殺したのか全然理解できなかったし、そうだ、兄貴はいつも猫派犬派の話になると猫派の姉貴をけちょんけちょんに貶めていたぐらいで、何でというかそもそもリア充で常にストレスフリーな笑顔を周囲に撒布しまくってて、こんなわけわからんことをやるぐらいに追い詰められたはずはなく、そんなわけで俺の中で様々な疑問と感情が混ざり合って、
「なんでなん?」
という一言に集約された。
兄貴はそれだけで俺の意味するところを理解するくらいにスマートな人間だった。はずだが、その時は俺の問いには答えず、
「トマト・・・」
「トマト?」
「赤くなってもたな。トマトだけに」
俺の中の何かがキレて、放たれて、その矛先である兄貴に殴りかかった。勝てるわけないのに。
そのあとのことはよく覚えてない。兄貴がトマト殺害を素直に認めたため、家族全員がショックを受けたようだったが、幸い近所の人に目撃者もいなかったので事件が外に漏れることはなかった。トマトは不幸な事故で死に、兄貴は優等生な生徒会会計なままで、日常は続いていった。俺には到底理解の範疇外だったけれど、家族も普段どおり兄貴と接していた。
俺だけがその日から、比較的仲の良かったはずの兄貴とあんまり会話しなくなった。
貸していた映画代1500円も借りていたエロ本も話の種とはなりはしなかった。
それから間もなく兄貴は東京の大学に入るために上京して、卒業して、就職して、そんで、つい最近、会社の同僚の人と結婚した。
結婚する前、うちの家族に紹介するために兄貴が彼女を家に連れて帰ってきた時、成り行きでペットの話になった。
彼女は実家で猫を四匹も飼っていて、兄貴と同棲してたマンションでも捨て猫を拾って育てているとなんとか、そういう感じだったように思う。その場で兄貴が熱烈な犬派はずだっていうことを誰も口にはしなかった。だって、トマトをどうしてもトマトを思い出してしまうだろうから。
今まで会話の輪に参加しつつも、巧みに兄貴との絡みを避けてきた俺はここでようやく兄貴と目を合わせた。
「でもさ」
何が「でも」だったのか、自分でもよくわからない。会話の流れ的にそうだったのだろう。多分。酔っ払ってたし。
俺は笑っていた。笑顔だったと記憶している。鏡見てないのでなんともいえないが、酒が入るといつもそうなる。
姉貴もそうだ。とーちゃんも、かーさんも、おじいちゃんも、いとこのせんたろうにいちゃんも。そういう家系らしい。
兄貴はどうだったのだろうか?
「ああ」
兄貴はやっぱり微笑みを浮かべて
「そうだったけなぁ・・・」
それ以来、兄貴と話を交わしたことは一度もない。
『煙か土か食い物』っつう本の中に、似たようなくだりがある。ほぼ同じといってもいい。あんまり参考にならないかもしれないが。
貸していた時計は返ってきた?