「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ
の感想文をだらだらと書くよ。
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私は体質的な理由で一生子供を作ることはできない。
それを自覚したのは私が小学5年生の時だった。
その後、大学生の時にパワーハラスメントとストーカーの合わせ技のような災難に会った。
そのストーカーが、私のみならず、私の恋人や家族へ災難を拡大させることを防ぐのにどれほどの屈辱を味あわなければならなかったことか。
その傷が癒えるのには10年以上かかった。
不幸自慢をしてもしょうがないのだが、上の2点だけを見ても、世界は、例えば私にとっては完璧なものではない。
もちろん元記事の書き手にとっても完璧なものではない。
なぜ世界はこんなにも理不尽なのか?と問うた所で答えは永遠に見つからない。
そんなことは神にしかわからない。
何かの仕組みがあって、何かの因果があって、こんな事になっているのではない。
小学5年生の時点で、一生子供は作れないと宣告されるのはいったい何の非があって?
元記事の書き手が子供の頃に虐待にあった事は、彼女に何の非があって?
「因果応報」を想定する場合、「良い因」を心がければ「良い結果」がもたらされると期待するだろう。「悪い因」があるからこそ「悪い結果」がもたらされると自分に言い聞かせたいだろう。
しかし実際はそうではないというのが、この世界の真相だ。みんな薄々気づいているはずだ。
だからもちろん、この問いを狭めた問いのかたちである以下の問い、
「私はなぜこんな目に会うの?」とか「なぜ私ばかりが?」
過去に極度の苦しい事件を味わうと、それから10年、20年というレンジで、その苦しみの像(イメージ)が反芻でもするように、自分をさらなる苦しみに引きずり込む。
夜に眠れないこともしばしばだし、その事件以前とはうってかわって、心身症にかかる頻度も本当に激増する。
様々な自分の可能性を狭められ、「あの事件さえなければ、私の人生はこんな真っ暗闇のようなものではなかったはず」というやり場のない怒りが自分の人格をも狭める。
警報の鳴る踏切を超え、踏切の中で電車が私を轢きつぶすのを、目を閉じて待っていたことがある。
当時はストーカーの災難を一身に受け「これほどの苦しみがこの先も終わらないのであれば、いっそ、、」と思ってのことであった。
しかし電車は来なかった。私の100m程前で止まっていた。
誰かが通報してくれたのか、踏切の地面には特殊なセンサーがあるのか。それこそ仕組みはわからないが、私は命拾いした。
その時は朦朧としたまま、自宅に帰って布団に入って、ただ何時間も泣いていたと記憶している。
相変わらず苦しみは続いたが、あの時私の救いは始まっていた。
あの時命拾いをしたおかげで、苦しい像(イメージ)にしばしば見舞われながらもその後10年以上生きることもできた。
10年も生きれば状況も変わるし、私も成長する。
私の妹がストーカー被害に会った時には私のこの苦しい経験を生かして、警察と弁護士を活用した完璧なサポートをすることもできた。
子供を作れなくても私の人生は恵まれていると思うようになれた。生まれ変わったとしても、またこの体質でもいいなとすら思う。
今、私が踏切に立った当時を思い出し冷静に考えると、私の命に本当に申し訳ないことをしたと思う。
まず私自身が、私を一番大事に可愛がらないといけないんじゃないかと。
一番身近な存在である私を愛せないのなら、他人や、ましてやこの世界や、この世界になぜか私が存在しているという事実を、愛することはできない。
(※あー、なんかこのへん「自殺しなくてよかった」記事にありがちな言い回しですね。。。私を生んでくれた両親には申し訳なくないのかという、自殺議論でのよくある論法は別の難しい話になるので今回は割愛。)
元記事の書き手さんには、彼女なりの進み方があるし、私のこんな経験談、後日談は役には立たないだろう。
どうやって苦しみから脱したかは、意図的にふせたし、そもそもそんな「こうしなさい」みたいなことを書くのは苦手。
上に書いた事は単なる私の独り言にすぎません。
こむずかしい議論の多いblog(特にhatena)で、久々に人間の激しい感覚がうずめく記事を見つけたので思わず私も書いてしまいました。(元記事はgooブログだけどね)
要約すると「善悪」とか「正誤」のような哲学に行き着くしかない堅苦しい議論ではなく、たまにはこういう感情100%の話題もいいものだと思う。
書き手も元増田も、だから何なの?幸せな家庭の人を恨めしそうな目で不愉快にさせて何が楽しいの?意図がわからん。全然わからん。
誰もが受かって当然の試験があったとする。 合格率は受験生の80パーセントくらいだ。 それを私も当然のことながら受けた。みんな受けた。一人残らず受けた。 でも、私は試験に落ち...
元増田は別に「幸せな家庭の人を恨めしそうな目で不愉快にさせ」てはいないと思うけど・・・
理不尽な思いをしたからこそ経験できる世界もある。 それが嬉しいことかどうかは別として。
多くの思いをより深く味わったものが本当に「生きた」と言えるだろう。
id:hashigotanはマリポーサだ。 そして↓彼女はキン肉マン。 http://anond.hatelabo.jp/20071108012549 キン肉マンマリポーサは、貧しい家庭に生まれ育った。 そして、盗みをはたらくようになり、挙...
この件で素晴らしい人格者と極悪人って構図にあてはめたがってる人がチラホラ見える