名前を隠して楽しく日記。
コピペしてんじゃねぇよ
40〜54歳 男23%が恋人0, 9%が恋人1人 (内閣府 男女共同参画局統計)
男性恋人0=女性恋人0人+1人と同じ割合という差だけはあるが、1人以上からは大体同じだよ。
はてな民が考えている以上に喪女は多いと思うし、恋愛市場に自然に組み込まれない
穴モテとか言うけれど それを嫌うような倫理観で育てられたら穴モテは避けるし。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-37.html
コピペしてんじゃねぇよ
今でもあるけど、だいぶ減った。やっぱり通販に移動したからな。SwitchScienceとかDigiKeyとかあれとかこれとか。
お座敷遊びゆうたかて所詮は旦那衆の気晴らしに過ぎないやんか。あんなん文化いうんか?w
1600年に裁判官のフェルマーが、 x^n+y^n=z^nは、n≧3のところで自然数解をもたないという定理を発見したのはなぜなのかまったく分からない。発見したというより予想しただけだから
なんで予想したのかであるが、作ることはできなかったので、何で作ることができなかったのかもさっぱり分からない。作っていない以上は、理解できているとは言えない。証明が全部終わってから初めて
ものになるので、 仮に61%の素数pについて証明できたとしても、話にはなっていない。そのように、ものになっていないから、何を言っているのか分からない。一般の書籍では、哲学的にみても、
到達不可能なもののシンボルと書いているので、その辺の記載からは、本当に、解くための技術がないように思える。1996年に書かれたフェルマーの最終定理という本でさえ真剣にそんなことを
書いているのだから、ガチ勢の数学者でも、技術を編み出すことが出来ないのではないか?
技術を編み出すとなったらそれこそinductionとか様々な方法があるが、それの完全版の、 完全帰納法とか、なんでも少し数学の教科書を漁ったら関連するような技術が書いてありそうな
ものだが、そこに書いている技術を使っても証明できないといったような、法学で言えば、判例百選の解説みたいなものは読んだことがない。
女性を長年見てて思うんだが、仕事の労働力が減ったら文句言うくせに、なんでいじめとかして労働力を減らそうとするんだ??自分が困るだけじゃん。ていうか人が働きたくなるような職場にすればいいだけの話じゃん
あくまで個人的な考えではあるが、二つのポイントがあると思っている。1つ目が「自分の目的のためだけに相手を扱わない」、2つ目が「相手が独立した他人であることに焦点を置く」ということである。
一つ目について、例えば、あなたが誰か女性に話しかけるとする。女性がその会話に応じてもいいかな、と思う場合には、そこには大抵、明確な目的意識はない。例えばちょっと時間を潰すとか、クラスメイトと仲良くしておこうとか、その程度のゆるい意識がある程度だろう(つまり、会話するという手段そのものが同時に目的でもある)。その結果としてお互いのことを知り、親密性が上がることはあるかもしれない。けれども、もしあなたが、その女性と交際する、というステータスを得るという自分自身の目的のためだけに手段として会話をしている、というのであれば、お互いの意図は噛み合わないことになる。あなたが自分の目的だけを強く推し進めるのであれば、その女性は、自分の意思は無視された、と感じるかもしれない。あなたが極端にも「交際というステータスを得られないのであれば、会話など意味がない」という態度を取るのであれば、彼女は、あなたの一方的な目的のためにコミュニケーションリソースを利用された、と感じるかもしれない。
あなたがもし自分が「非モテ」側だという自覚があるならば、まだ一度も話したことのない異性が、あなたを恋人候補として意識しているという可能性は極めて低い。だから、明らかにお互いが恋愛を目的としている、という確実なコンテクスト(例:婚活・マチアプ)がない限りは、まずは「特に目的もない会話をできるようになり、すること」というのが人間関係の第一歩になるはずだ。
もう少し関係性が深くなり、交際を意識するようになったら、今度は2つ目のポイントが重要だろう。これは要は「一般論的な、あるいは自分自身の願望を、ノータイムで相手に投影しない」ということだ。
例えば、女性は割り勘を嫌うから、という一般論を踏まえて、今日の食事は奢るよ、という態度をあなたが取ったとする。ところが、相手の女性は、自分とあなたはただの友達だし、奢られる理由はないから割り勘にしよう、と返してきた。ここで、意地でも奢りを貫こうとするならば、相手の女性は「わたし」ではなく「女性一般」を見ていると感じるだろう。あるいは、あなたは贈り物をもらうのが好きで、だから相手に贈り物をあげたら喜ぶだろうと考えて、何かを渡してあげる。しかし、相手の女性は人からものをもらうことを、「借りを作る」と考えて苦手に思う人間で、それを拒否してくるかもしれない。こういうときに、おかしい、ものをもらったら僕は喜ぶのだから、あなたも喜ぶはずだ、とあなたが突き通すなら、それは相手の個人としての人格・思考を無視していることになる。
いや、じゃあなんで奢り奢られ論争なんてもんがあるんだ、と思うかもしれない。そりゃまあ、例えば、多数派の異性がそう考えているであろう信念を一手目の根拠にする、というのは楽な戦略だろう。楽な戦略だから、多くの人がそれを推奨する。とはいえ、もしそこで相手が「私はNoだ」と言ってきたら、相手の主張を一旦真剣に受け入れる必要があるよ、というのがここで言わんとすることだ。
それから、相手の考えは「常識的に、察すべき」だと女性は言うじゃないか、という反論もあるかもしれないが、個人的にはお勧めしない。というのも、互いの欲望の言語化ではなく、察し能力のみに依拠するコミュニケーションは、早晩破綻しがちだ。結婚まで至ろうものなら、必要なのはすり合わせの連続である。セックスレスで揉める夫婦を見てほしい。「一般的な夫婦は経常的にセックスすべきだだし、自分もそう思っていた」「一般的な夫婦は出産を機にセックスは必要でなくなるし、自分もそう思っていた」両方、一般論としてどこかで聞いたことないだろうか。どちらも、「はっきり確認させていなかったけれど、相手も同じ信念を持っているだろう」と思い込んでそういうことを言ってしまう。けれども、どちらの信念を持つか、その違いがわかるのは、できれば早い方がいいに決まっている。
注意点としては、ここに書いてあることすら必ずしも「万人の正解」ではないということだ。これを書いている人間自身、基本的には「ある程度コミュニケーションが取れてから相手を恋愛対象として考える(一目惚れをしない)」という信念に基づいていて、その分のバイアスがある。世の中には、「感情的なつながりがない時だけ性的好意を持つ(フレイセクシャル)」という人種もいるらしい。そうしたら、人間関係を徐々に構築する戦略はうまくいかないかもしれない。要は、誰にでも100%うまくいく方法なんてない、ということである。ここまで長文を読ませておいて、と思われるかもしれないが、2つ目のポイントの本質はそこにある。すると必然的に試行錯誤が必要になるし、失敗にめげない胆力がカギになってくる。
相手はあなたと同じ、思考する人間である。しかし、その思考の様式、前提、ひとりひとり大きく異なっている。今、目の前の相手がどういう人間なのかをどれだけの解像度として知ろうと思えるか、そこで人間個人としてのコミュニケーションの深さが測られる。もちろん当然、それはあなただけが頑張るべきことではなくて、お互いが意識すべきこともである。あなたがもし、相手に蔑ろにされたと思う時には、怒っていい。自分を大切にすることもまた、相手を大切にするための一歩であるのだから。