はてなキーワード: 長い散歩とは
これ気になってドラッグストアーで件のポテチを、ローソンで無印てんさい糖ビスケットを買ってきて実際にやってみたけどおいしかったわ
てんさい糖ビスケットのほのかな甘みにバターっぽい香りの独特の甘さと塩気と油が加わってパンチのある味になったし食感もポテチの固め厚め+ビスケットのサクサクの軽さの違いで食べごたえ出る感じ
ビスケットプレーンとココアとあるけど、プレーンのに合わせる方がおいしいよね
山登りやめてずいぶん経つけど、これ自分でミックスして作る行動食にするとかなりよさそうだなと思った
【1日目】
昼食時に食欲低下を自覚。夕方寒気がするため検温したら37.5度の微熱。安静にするもみるみる熱が上がり20時には39度まで上がる。当然コロナを疑い、まずは明朝かかりつけ医に連絡することを念頭に寝る。夜中熱は下がらず、関節痛と腰痛がひどい。手持ちの鎮痛剤を服薬しようやく熱が下がり眠れる。呼吸器系の症状はまるでなし、ただ熱が上がり関節が痛い。味覚嗅覚正常。倦怠感なし。
【2日目】
朝の検温37度でスタート。子供は保育園に登園できず、しかし元気。仕方がないので無人の道を選びながら散歩に連れ出す。道中各所への連絡開始。わかったことは以下。
・PCR検査は当日昼に別の病院の駐車場で受けられ、その結果が出るのは夕方。
・保育園は、陰性証明書と、私が平熱なった以降に一度病院を受診し健康体のお墨付きをもらったら登園できる。
まとめると、まずはともあれPCR検査を受けなければならない。陽性であれば保健所の指示に従うのみ。話はそれからだ。と言うわけで、子供の相手を頑張り、昼寝のタイミングで夫に託して、車で30分ほどの駐車場に到着。この時点で熱は39.2度まで戻っていた。検査自体は鼻に長い綿棒を入れるタイプですぐ終了。私の他にも5台くらい車が来ていた。対応スタッフは3名ほどで重装備。スタッフが車の窓越しに掲げる端末で医者先生の問診。熱があることや、喫煙歴、身近なコロナ患者の有無などを回答。陽性になった場合、隔離生活が可能かなどをヒアリングするアンケートに回答。幼児が完全に母親っ子の時期なため、自宅療養でないと難しいと記載した。帰宅。横になりながら幼児の相手をする。
18時頃、陰性と結果報告の電話あり。熱が出ていることに変わりはないのだが、受診などへの案内はなかった。「現時点では陰性です」と、念押しのように言われた。陰性証明書の作成可否を確認し依頼する。保育園に経過報告して、子供を寝つかせ、とりあえず手元の解熱剤を飲む。20時に38.5度あった熱が0時には36.7度だった。しっかり眠れた。解熱剤効果はすごいが、独自で飲み続けていて不安でもある。腰は変わらず痛い。
【3日目】
朝の検温36.5度でスタート。解熱剤の効果も切れているだろうし、すわ治ったかもと思ったが、今日は周辺病院が軒並み休みで通院できず。そもそも陰性証明書が受け取られるのも午後なので、保育園は行けず、子供はめっちゃ元気。仕方がないのでまた無人ルートを考えながら長い散歩に出る。帰宅したらやや悪寒がし37.2度。以降安静にする。11時頃病院から、陰性証明書について、「16*00-16*30の間に受け取りに来てほしい、ついでにお会計もお願いします」旨連絡あり。自由の利く親戚が行ってくれた。検査代約1500円、証明書5000円。夜受け取った証明書には、コロナ陰性であることと、「当該患者に以下の症状がないことを証明する」の文言と医師署名があった。以下症状とは、熱・咳・鼻水などなど。私、まだバッチリ熱がありますけどね。一瞬電話して聞いてみようかと思ったが、もう営業時間外なのであった。熱は上がり7続け、20時に38.5度。関節痛が収まってきたので、これ以上勝手に薬は飲まないと決めて子供の寝かしつけとともに就寝。
ここまでが今日の話。
【4日目】
●朝熱があったら?
⇨陰性証明書と共にかかりつけ医まで通院。子供は連れて行きたくないけど、預かり先が無いからな…昼寝の静かな時間を狙うか。
●朝熱が下がっていたら?
⇨陰性証明書と共に開いてる近所の病院に通院。健康体のお墨付きをもらえたら保育園に登園。私は休養。
発熱から3日間、たしかに体は病気だけど病院にかかることができず薬も手元のものを適当に飲むしかなかった。もしかしてオンライン診療とかと契約したほうが良かったのかな。私は他にできることがあったでしょうか?あと、そもそもこの高熱はなんの症状だろう。不安だなあ。
インフル予防接種済、発症から今まで風邪らしい咳鼻水一切なし、腰が痛い。少し頭が痛い。もしかしたらインフルに掛かっているのかなと疑うものの、今は危険だから市内ではほぼインフル検査は実施されていないんだって。解熱剤を飲み続けるしかないのかなあ。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
前略、ニート。
暇なので散歩した。
ルートは、所沢~小平(西武新宿線沿いをあっち行ったりこっち行ったり)
途中から暑くて汗がすごかった。
水分補給しつつ、散歩。
その途中、久米川駅近くのコンビニでチキン買って食ってたんだけど、
知らん人に「すいません」って話しかけられた。
よく日焼けした身体で、僕よりちょっと背が高い。
交通量も多くあまり聞き取れなかったので、何度か聞き返したりした結果、
ということらしい。
最初スキを見てひったくるつもりなのかな、と警戒してみたものの、チキン食べ終わってないので
「ちょっと食べ終わるまで待っててね」
というと素直に待ったので、その線はないだろうと判断。
事情はあまり聞かずに、あるだけの小銭をあげた。額にして105円。僕もお金がない。というか、おろしてない。
コンビニで買い物しそうだったから「近くのスーパーならおにぎり買ってお釣り来るからそっちにしなさい」
と言うと、彼なりの笑顔で応えてくれた。十分だ。
いつか僕もああなってしまうのか、という思いがあったことは否定しない。
霊園にはバッタが多い。踏まないように進む。
もう何年も手入れされてないだろう墓が多い。
「御名刺受」というのが付いた墓をたくさん見た。宗派の違いだろうか、私の先祖の墓、周辺では見たことがない。
いつもよりたくさん噛んで、舌で、歯で咀嚼して、味わって食べる。
そして電車に乗って家に帰ってきたのが今。3時間半にわたる長い散歩終了。
まとめ。
なぜ彼はたくさんいる人の中から僕を選んだのだろう。わからない。
母「おいでーおいでー」
父「ほらこっちだぞー」
姉「いつも散歩してるのは誰だー?」
俺「この間高級エサやったよなー」
太郎「……」
しーらね。って感じで頭を後ろ足でボリボリしてる
父「ブラッシングしてやったもんなぁー」
姉「なんてったって日々の散歩だよねー」
俺「ほーら太郎ー。俺はオヤツを持っているぞー」
母父姉「「「お前!!!!!!!!」」」
姉「ズルい!オヤツなんか持ってたら来るにきまってんじゃん!よこせ」
俺「あぁ…俺のエサが!」
母「アンタのじゃなくて太郎のでしょ」
父「ていうかそれは俺が買ってきたオヤツだ!こいつはチーズが好きだからな。なぁ太郎」
太郎「……」
自分のケツを舐めようとしてる太郎。
姉「ばっちいよ!太郎!」
母「まったこの子は肛門なんか舐めて」
俺「ある意味きれい好きだよな」
父「今手とか舐められたくない……」
太郎「……」ピクン
耳を動かす太郎
父の言葉を聞きつけたのか!?なぜか父に突進してくる太郎
父「なんで?!なんでえええええええええ」
父に腰を振る太郎
父「おまっ……さっきケツ舐めただろその舌……うわっなんか腰ふっとる」
母「ブラッシングしてあげましょうねぇー」
姉「キレイキレイしようねぇー」
俺「毛がモサモサだなぁー」
父「お前ら何和んでるんだ!!!太郎っ!おすわりっ!おすわりっ!」
太郎、「そんなコマンドしらね」といった顔で父の足元にゴロンと転がる
全員「ぬおおおおおおおおおおお」
姉「かわよいいいいいいいいいいい」
俺「ぬおおおおおおおおおおおおお」
母「いい子ねぇーいい子ねぇー」
父「お前はそうしてるとかわいいのになぁ。黙ってるとかわいいのになぁ」
太郎、皆に撫でられ放題。
突然起き上がる太郎。
はっ!誰かが俺を呼んでいる……!という顔になる太郎。
俺「た、太郎どうしたんだ!?」
姉「ここら縄張りをしめてるプードル(オス・五歳)からの伝言があったようだ」
俺「な、なんだって!」
姉「ふむふむ……『ご主人様……申し訳ない……この家を守るという責務、しばし外させていただく』と言っている」
俺「太郎渋っ!」
姉「『拙者は行かねばならない……ボスが呼んでいる!』」
母「ボスって私達じゃないの?」
姉「あ……」
父「おい太郎!ボスは俺たちだぞ!!」
太郎、「は?もうどうでもいいっすけど?」といった感じでお姉さん座りをしている
父「太郎ーーーーーーっ!!!」
太郎、「だから何がやねん」といった顔で耳をかいている