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はてなキーワード: 大阪難波とは

2023-06-07

今の新聞記事昭和風に書き直してみた

線路脇の男性急行にはねられ死ぬ

 【京都】四日午前零時五分ごろ、京都京田辺市三山木小畑近鉄京都線線路内で、買い物袋を持って線路脇を歩いていた男の人が、大阪難波大和西大寺行き急行電車(六両編成、乗客約八十人)にはねられ即死した。乗客けがはなかった。

 京都府警田辺署で自殺とみて調べている。

2023-04-09

anond:20230409012848

名古屋にすむまで、名古屋から大阪難波までつないでるだけで安くて速い近鉄線というものもしらなければ、その中にただよいがちな551香りもしらんかったよ

2023-03-26

高島屋って大阪の超ローカル百貨店だと思ってた

高島屋って大阪難波本店があるんですよ。

難波って大阪で二番目ぐらいに巨大なターミナル駅

ちょっと田舎なんですよ

からお土産高島屋薔薇色の包み紙で包んでると悪いかなと思って、大丸とかで買ってたんですけど。

新宿にもあるんですね。驚いた。

2022-02-19

先月、大阪ホテル療養していた

先月、オミクロンが増え始める頃に大阪難波ホテル療養していた増田AERAの記事を読んで違和感を持ったところを書く。

>毎朝6時と7時に2度、「朝食、検温、スマートフォンでハーシスHER-SYS/厚生労働省新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理システム)に入力してください」というアナウンスホテル内で流れ、1日がはじまる。

>そして療養者は自らエレベーターで1階に降りて朝食を取りに行く。

ここは俺も同じだった。

朝9時にも再度、ハーシス入力

ハーシスシステムは全国共通だと思うのだが、朝に2回入力ではなかった。朝は上述の7時頃1回だけ(+夕方4時頃1回)。入力忘れの場合は内線で通知だった。

コロナ感染して療養のためにホテルにきているのに、ホテル内のアナウンスがすごい大音量でした。寝不足になり、身体にこたえた。何のための療養なのか」

アナウンスが大きいこと自体は若干思ったが、夕食のアナウンスが終わる(後述)夜の8時頃から朝の7時までは眠れたからそんなに不足ではないのではないか

文句を言っている人が極端な夜型だったら辛いかもしれないが。

「朝食は毎日、同じメーカーパンジュースです。味はまったく代わり映えしないです。夕食だけは宿泊療養を開始するときに魚野菜系か肉系か、2つのメニューから選べます

最初に選ぶと途中から変更は不可。

ここはおおむね事実。ただしパンの味は毎回変わっていた。(ジャムパンカレーパンサンドイッチなど)ちなみに記事にはないが昼食もちゃん弁当の形で出る(昼食は全員共通)。

あと、朝食のパンは余るらしく(食欲がない人などもいるからか)、昼10時頃に1階に行けばもらえた。増田も空腹を感じた時は利用していた(ただし増田比較大食いからであり、常識的な人なら足りると思う)

食事アナウンスから2時間以内に取りに来いという制限がある。その際、エレベーター宿泊療養者が集まるので、密になります

宿泊していたホテルにもよるだろうが、増田の療養していたホテルでは上記の魚野菜系がAコース、肉系がBコースで、「○階で療養中のAコースの方は夕食の準備ができましたので1階ラウンジまで~」という分け方だったため、そこまで密にはなっていなかった。

ただしこの関係で、食事が始まると朝昼は1時間程度、夜は6時から8時まで2時間程度アナウンスが続くので若干うるさいと思ったのは事実

弁当の時は、電子レンジで温めるのだが、いつも行列ができるという。

「かなり密集になりますね。弁当電子レンジで温めると、熱で容器が曲ってしまう。コンビニ弁当でもこんなことにならない。よけいに体に悪いんじゃないか大丈夫かと心配になりました」

行列はできていたが上述の通りできても数人ほど並んでいるだけだし、意識が高いので(?)みんな無言だからそこまで問題になる密だとは思わなかった。

あと、熱で容器が曲がるのは単にこの人がレンジで温めすぎなだけ。目安くらい書いておいて欲しかった気もするが。(増田初日から2日目はやらかした。良いレンジで700Wくらいまで出せるやつだったせいもあると思う)

「私はオミクロン株に感染したのだろうと思いますが、喉がとてつもなく痛く、高熱でした。そんなときカツカレーが出され、一口食べると割れガラスが喉に突き刺さるような感じでした。

いやはや、殺す気かと思った。カレーの大半を残しました。カツカレーは私が宿泊療養中、2度ありましたね。

個人的にはカツカレーはなかった。味は全体的に濃かったが、『外食弁当』としては常識的範囲

全体的にメニューは揚げ物が多く、私のような50歳代という年齢だと食べるのが辛かった」

コースを選んだ人の自己責任じゃないかなぁ、そこは。

2022/02/19 21:33追記

ちなみに増田は2回ワクチンを打っていたおかげで(?)発症から3日目にホテル療養に入ったのだが、その頃には熱は37.2度程度まで下がっており(発症初日に38.7度が出た。体はだるかった。喉はイガイガしたがそれだけ。完全にインフルエンザ未満のただの風邪だった増田にとっては)後はひたすら本を読んでネットして(※ノーパソ持ち込んだ。wi-fiは完備だった)寝るだけの日々だった

2021-07-06

裏垢ブログを始めたら性的生活が激変した話

中高大と全くモテることはなかった。容姿はもちろんのこと、陰気で卑屈な性格が災いしていた。

恋愛する資格すら与えられないような、集団の中にいても最初から選択肢に入っていないような空気のような存在だった。

当然ながら、経験人数はおろか付き合った人数もゼロだった。

二十歳くらいの頃にはすでに、もう私は一生セックスなんてする機会なんてないんじゃないか、と薄ぼんやりと思っていた。

そんな中、就職後の職場ストレスから勢いでブログを始めた。

今で言う自撮り裏垢のようなものであり、肌色が多かったり体のライン露骨に強調されるような服を着た写真を撮っては投稿するようになった。

今までは毒にも薬にもならないような日記を書いていたことはあったのだが、陰気な内容であり知人以外で見る人もなかった。

それに対して、裏垢のブログはそこそこアクセスされるようになり(一日1500ページビューくらい)、コメントもつくようになった。

人に言えない趣味が増えたな、と私は思った。

しかし、そのブログを起点として、私は他人と肉体を重ね合わせるようになった。

 

一人目

 

ブログコメント欄の常連の人であり、簡素なやりとりからチャットに発展してオフで会うことになった。

仕事出張がてら関東に行き、新宿アルタ前の喫茶店で待ち合わせをした。そのままホテルに行き裸になって体を重ねたが、本番には至らなかった。

相手のよだれの臭いと重なったとき相手の体の重さを覚えている(相手の方が遥かに大柄であった)。

その後1回だけ会うことがあったが、それきりとなった。特に恋愛感情はなかった。

 

二人目

一人目と同じように、ブログコメント欄をきっかけとしてやりとりを行うようになった。

一人目と同じように、出張がてら関東に行き、そのままホテルに行ったが、本番には至らなかった。

そもそもそういったことを目的にしたわけではなく、写真撮影を行いという相手の申し出があったのだ。

当日は年甲斐もなく女子高生制服を着て2時間くらい写真を撮られた。もちろん両者の合意に基づいている。

しかし、相手とはそれきりとなった。

 

三人目

 

この頃、ブログからTwitterに移行していて、そこからメールでやりとりをするようになった。

数回の事務的なやり取りの後、会うことになった。この時は自宅に相手を招き入れたが、本番には至らなかった。

私の部屋で相手全裸になると、私はブーツを履いたまま相手性器を踏みつけた。そういったプレイであり、もちろん両者の合意に基づいている。

このとき部屋では、coldplayのviva la vidaという曲が流れていたのだが、この曲のサビで流れている鐘の音に合わせて相手性器を踏んづけていたら楽しくなった。

今でもこの曲を聴くとそのとき足コキのことを思い出す。

相手とは、新年にはあけおめメールのやりとりを行ったりしている。

 

四人目

街中で偶然声をかけられて、しつこくついてくるので渋々食事を一緒にとった。

その後もずっとついてきて、なぜかその流れで大阪の堂山あたりのホテルに入ることになった。

この時も本番には至らなかったのであるが、相手性器を出してきたので私はそれを口に咥えた。

フェラチオは初めての経験だったが、そのまま相手は私の口の中で射精に至った。

それを飲み込むことはせず、洗面所で全部吐き出して口を濯いでいたら、相手もすっかり興醒めになったようであった。

私は終電で帰り、それきりとなった。

 

五人目

 

Twitterのやりとりから発展して会うことになった。神戸三宮で待ち合わせをして、その後自宅へ招き入れた。

着衣のままお互いに股間を弄りあったが、やはり本番には至らなかった。

そのとき相手はかなりの巨根であり、乳首でも感じることができる素質を有していた。

私が相手の胸を触ると喘ぐ姿を見て、男性でもこんなに乳首で感じるんだな、といった小学生並みの感想を抱いた。

が、その後会うことはなくそれきりとなった。

 

六人目

 

こちらもTwitterのやりとりをきっかけで会うことになった。大阪難波の個室ビデオ屋で待ち合わせをして、そのままの流れで行為に至った。

相手緊縛趣味であり、両腕をアームサックで固定し、口枷をはめられた状態で挿入に至った。もちろん両者の合意に基づいている。

五人目にして初めての挿入であったが、気持ち良いということはなく、相手体重の重さと挿入に伴う鈍痛をいまだに覚えている。

このとき相手ともそれきりとなった。この頃から自分は不感症ではないかと思うようになった。

 

七人目

 

Facebookアカウントを持っており、そちらのやりとりから会うことになった。

会うのは初めてではなく、大阪あたりのアングラ風味のイベントで何度か顔を合わせていた。

神戸高台の方の街で待ち合わせをして、相手の自宅にお邪魔することになった。

相手ラバーフェチだったので、自分ラバーキャットスーツというものを着て胸とかを弄りあった。

ゴムしなの特に気持ち良いということはなかった。

行為としてはそれきりであるが、その後何度かイベントなどで会っている。

 

いずれの相手恋愛感情も湧かず、心から気持ち良いと思えることもなかった。

このような経験を通して、自分はもしかしたらアセクシャルなのではないかと思うようになっていた。

 

しかし、転職した先の職場で見かけた同僚の女性恋愛感情を初めて抱いたのである

ものすごく遅れてきた初恋のようであったし、または私はその感情をずっと抑圧していたようにも思えた。

その経験を通して、私はセクシャルマイノリティではなく普通ヘテロセクシャルであることの確信に至った。

2018-12-28

anond:20181228200834

関西弁って言っても

大阪難波弁なのか

京都の真ん中辺りなのか

神戸なのか

尼崎なのか

とかでけっこう違うよな

2013-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20130826114354

大阪難波パークスでゲリラ豪雨の影響で下水道に生息してたGが路上に沸き出て来たってニュース出てる

ソースTogetter。いつからTogetterニュースになったのかい

http://anond.hatelabo.jp/20130826113659

からですまんが、昨日か一昨日のは多分俺だ。

大阪難波パークスでゲリラ豪雨の影響で下水道に生息してたGが路上に沸き出て来たってニュース出てるはずだから

多分その影響ではないかな?

元増田大阪人であれば、だけど。

 
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