はてなキーワード: Alsとは
それを言うなら
『将来を支える「かもしれない」人間を生み出している人間と、将来を支える「かもしれない」人間を生み出す可能性が無い人間』
だろ。
それよりも、
「現在支えられていてもっと支えが必要になりそうな人間と、現在を支えている人間」
のほうが比較としてはいいかな。(いじわる)
別に、子供に「生まれてくるな!」と言いたいのではなくて、
障害者である親に「その状態で自分の満足のためだけに子供を作るのか!」と言いたいんだから。
言葉遊びはともかく。
(実際、老老介護とか独居老人とか、老人ホーム入れっぱなしとか、めずらしくない)
未来に期待できるかもしれない不確定な要素よりは、
今現在実際に得られてるものを評価したいけど、どうですか?
年金だって介護保険だって、将来自分が受けるであろうサービスの前払いみたいなもんで、
今他の人を支える分、将来支えてくださいね、ということ。
今も将来も支えてもらう人が、将来支えるかもしれない人を作ったからといって、
今テレビでやってるんだが。
筋ジス発症患者が、進行する病気と闘いながら妊娠・出産だって。
感動的なお話っぽく仕立てられてるけど。
これってどうなの?
母親の病はかなり進行していて、彼女自身は育児が出来ないみたい。
夫が色々やってるみたいだけど。
まあ、上記母子の場合は、育児に(公的扶助等含め)他人の手を煩わせないなら
勝手にやってくれ、むしろ少子化を支えてくれてありがとうって気もする。
彼女一人生きていくだけでも、障害者支援やら介護保険やら使いまくるのは目に見えてるんで、
子供作ろうがお好きに、なんだが。
(むしろ、その子供が介護してくれるってんなら、どうぞどうぞ、だが)
遺伝して、子供に同じ障害が発症したらどうなんだろうな。
荷物が荷物を増やすなよ、と。
知らずに生まれちまった(母親の方)のはしょうがない不可抗力だが、(因子を持ってるって)知ってて産むのは
ちょっとなぁ。
公的扶助を利用する事前提に行動しているようにしか思えなくて。
これと似たような例で、ALSの女性がフィリピンから里子を取って子育てしてるっていうのを昔TVで見た事もある。
フィリピンから来た子供が養子縁組されたのかまでは、TVでやっていなかったが、もし養子縁組までしてるんだったら
えらいふざけた話だと思ったよ。
障害者支援と介護保険、その他を行使して自宅での生活をしている、未婚の女性だった。
日本の子供の里親制度では彼女が養子を迎えるのが難しいとはいえ、何で外国の子供なんだよ、と。
「障害があるからって、『普通に生きること』を諦めたくない」
ALSの女性、このような事を言っていたよ。筋ジスの母親も、多分同じ気分なんじゃないかな。
素晴らしい心意気だが、彼女らは大きく間違えてると思う。
子供を産み育てるっていうのは、残念ながら今の日本において「普通に生きること」の範疇にはもう入らないんじゃないか。
ちょっと周囲を見回せば、結婚できない人、身体的・経済的理由で子供をもうけないという選択をした人がゴロゴロいる。
子供をもうけるってのは恵まれた環境の人間に与えられた選択のひとつになっちゃったんだよ、今の世の中では。
(だから、理性なく畜生みたいにボロボロ子供産んでる子育て力のないDQNは非難されてもしょうがねぇ。分不相応なんだから)
障害者だからって、萎縮して生きろとは言わない。
ただ、健常者以上の幸せを、自分の力の範囲外だとあきらかにわかってるのに求めるなよ…と考えてしまうんだよな。
これだから障害者様はよぉ、って。
あーでも、上記2例が、潤沢な資金の上でそういった選択をしたのであれば、本当にごめんなさい。
ちょっと(1週間くらい)待ってて、一応『信頼』くらいは立ち読みして何か書くかも。完全に内容忘れたけど一度は読んだはずなので。
ルーマンとかボルツとかの説をめぐってはぽまの人のサイト(http://amr-i-t.com/)にはいろいろ書いてあったんだけどなくなっちゃった。一応彼の挑発的な言論活動に刺激を受けて、ファイヒンガーの als ob(日本語による紹介になってない紹介としては森鴎外の『かのように』参照のこと)のCKオグデンによる英訳も買ってはみたのです。まだ読んでないけどね!で、こういう哲学だか社会理論だかに対する私自身の予断と偏見は非常に強く、ネガティブな色眼鏡で見ています。