はてなキーワード: 大場つぐみとは
週刊少年ジャンプで連載中の、いわゆる、漫画を描いたり出版したりする側の人々を描いた漫画。多分、似たようなコンセプトの作品は他誌にもそれなりにあるんだろう。
こういう作品が注目を浴びる背景としては、読者の好奇心の対象の移ろいを敏感にキャッチした結果という一面もあるんだろうけど、それ以上に漫画家サイドが「読者に知って欲しい」というモチベーションも無関係ではないように思う。
とりあえず「バクマン」に限るなら、そもそも漫画家の立場で考えるともの凄く描きにくいじゃん?
実在の編集長や担当者をモチーフにしたキャラクターを描いて、そのモチーフの当人達に原稿チェック頼んでOKとかNGとか判断もらうわけよ。人並み外れた神経というか自信というか、そういうものがないと作れないよ。「作品では漫画論とか随分と偉そうな事言ってるけど、そういうお前はいつも○○じゃんかよ(笑)」と心の中で思われてるかも知れないと思うと、俺だったら胃が穴だらけになってるだろうな。実際、「バクマンの中の少年ジャンプ」では、主人公達の作品の人気は「中の上」程度は維持しているわけだよね。それって、少年ジャンプの平均以上の面白さの漫画を主人公達は作っているわけで、そんな主人公達を描いている「バクマンの作者(小畑健と大場つぐみ)」はどういう存在なのか、という事にもなってくる。ジャンプ連載漫画家の半分以上に対して「俺が作ったキャラクターが作った作品の方がお前らのより面白い」と言ってるも同然だもんな。いわば現役プロ野球選手が、これまた現役プロ野球選手を批評するような難しさがあるように思う。
そういう難しさを振り払ってでも描きたいという作者の強い意思があるからこそ「バクマン」は未だに連載され続けて、相応の人気や単行本売り上げという結果を残せていると思うわけ。そうでなければ、わざわざ実在の固有名詞(出版社名、雑誌名、作品名)を出しまくったりする必要ないでしょ。架空の世界の架空の雑誌にすれば済む話だもん。
じゃあ、そのモチベーションはどこから生まれるのか?という事になってくるけれども、俺が思うに、(特にネットでの)偏見や先入観にあふれた漫画論に対する回答というか、アンチテーゼみたいなものなんじゃないかな。
世の中、いろんなステレオタイプであふれている。たとえば、アメリカ合衆国は自国の利益のためなら平気で戦争するとか、霞ヶ関の官僚は天下りしまくりで金儲けの事しか考えてないとか、いわゆるそういうやつ。漫画家や漫画出版社にも、おそらく我々が無意識のレベルにまで浸透しているステレオタイプがいろいろにあるんだろう。そういう認識を何とかしたいという思いの結実が「バクマン」なんじゃないか。
突っ込まれたのでこっそり修正。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_efdf.html
矛盾が大量に発見できて、いちいち突っ込んであげるのもばかばかしい。
そもそもfinalventは炎上をさせるような悪質なネットイナゴの味方なのだろうか敵なのだろうか。
切込隊長やj-castの炎上リポートもなくなってしまうとか、いままではそれを楽しんでたかのような口ぶり。
切込隊長といえば、匿名で自分の美談を広げたり、匿名で他のサイトに突撃したりしてそれをブログで語ったりするような、まさにネットイナゴの殿様バッタ的存在のブロガーである。
鼻歌交じりに燃やしたとブログで報告して拍手喝さいを集めて人気を得たブロガーである。
この文章に切込隊長が出てきた時点で馬鹿馬鹿しくて見る価値もない。突っ込む場所は他にもいっぱいあるが。
ぐっちーブログの問題をみて思ったのですが、残念ながらブログは嘘つきの心の病気の人間の発散の場になっているのでは。
狼少年の嘘をいつまでも聞いてくれる無限の村民を提供するのがブログというツールの気がします。
きっこの日記、切込隊長、漫画家の偽大場つぐみ、東京kitty、沢本あすか、などなど、次から次へと、
嘘つきが台頭し、そしてそのたびに嘘つきばかりがニュースになっています。
特に気をつけないといけないのは、「匿名の存在のまま有名になろうとする」嘘つきです。
実際の人物が社会的に信用できるものでないから、ブログで「架空の人格」を作り上げ有名になろうとする例です。
名前を隠していたぐっちーや、きっこや沢本あすかなどはこの例にあたるのではないでしょうか。
匿名で「有名ブロガー」という人格と「全裸大好きヒッキー」という人格を使い分けるような人間の言うことには、
私だったら何か別の意図があると考えます。
■「「アルファブロガーのヤツらは困ったもんだ」by編集長 (ソース富澤准教授のブログ) 編集
ジャンプにとってガモウは必要なのだろうか。どうなのだろうか。要らなくてもいいんじゃないだろうか。いや、いない方がいいんじゃないだろうか。何故ガモウは存在するのだろうか。誰が望んだのだろうか。ガモウがいたら、何か我々に利益があるのだろうか。それどころか、我々は損をするのではないだろうか。
ガモウの功績というのは何だろうか。何をしただろうか。思い当たらない。では何故、我々はガモウを知っているのだろうか。それは目立つからだ。なぜ目立つのだろうか。それはガモウが目立とうとしているからだ。なぜ目立とうとしているのか。自意識過剰で自己中心的だからだ。
なぜガモウは、そのような性格になってしまったのか。おそらく育ちが悪いのだろう。かわいそうに。それはガモウのせいじゃないし、おそらく人気のなさのせいだ。人気のなさがすべて悪い。ガモウは人気のなさを憎めよ。なんでお前はブログ論左手で書いたようなアレげな絵ばっかり書いてるんだよ。なんでだよ。
ブログ論左手で書いたようなアレげな絵書いて何になる。それで誰かが得をするのか?いや誰も得をしないな。得をするとしたら、それはガモウ自身だ。ガモウは、みんなの為にブログ論左手で書いたようなアレげな絵を書いているフリをして、実は自分が一番、得をするように仕向けているのだ。そうなのだ。ガモウの政治力を高める為に、大衆を扇動しているのだ。ガモウとは、そういう奴だ。
人気のなさを憎めよ。人気のなさがお前を、そんな風にしたんだから。人気のなさを憎めよ。お前の敵は、なんだろう。それは人気のなさだろ。大場つぐみではないはずだ。むしろ大場つぐみも人気のなさの被害者だ。お前は人気のなさを憎めよ。大場つぐみと共闘しろよ。