はてなキーワード: おっぱっぴーとは
昔から家では自分の事をついつい「俺」と言ってしまっていたのだが
つい先日彼氏の前で盛り上がってたときやっちゃいましたおっぱっぴー
絶対気付いてたよ一瞬「え?」って顔してました彼氏
別に俺女的なそれじゃないんだけど
ただ上に兄、下に弟がいたためなんか昔から普通に俺という一人称だった……
「私」なんていうと東京に住むできる女ぶってるようで恥ずかしくて使えなかった……(別に田舎に住んでるわけでもないんだけど)
高校生になってようやく「私」って言えたくらいっすわ
いまだに会話が盛り上がるとつい「俺」と出てしまうひぃいい
いやほんとそういう気はないんですよ……
男ぶってるとかいうわけじゃ……
ただ「私」って恥ずかしいんですよなんかこう気取ってる感じで
寧ろ一周して「ワタクシ」の方がまだマシくらいの勢いで
寧ろワガハイくらいの勢いで
あぁああああああああしかも彼氏は彼氏で一人称が「僕」だからね
あああああああああああああああああああ
相手の女の子の気持ちを把握した上での恋愛というのはどうなのだろう。
実際のところ好きかはよく分からない。
周りの友人にはやし立てられていたらいつの間にやら気にかかるようになり、
気にし続けていたら「好き」っぽい感情が生まれていただけだ。
でもそれまではまともな恋愛なんてしたことがなかった。
だからこの感情が巷でうわさの「恋」なのかは断言できない。
断言はできない。しかし彼女に微笑まれたり目が合ったりすると嬉しくなる。
好意があるんじゃないかという思惑が僕の中に生まれたが故かもしれない。
僕から彼女に「好き」が向かっているんじゃない。
彼女から僕へと「好き」オーラが向けられていると感じたから、好きに近い感覚が生じたものだと思っている。
自己評価が高すぎるかもしれない。もしかするとそれは逆なのかもしれない。
僕が知らず知らずのうちに彼女に向かって「好き」オーラを出していて、
優しい彼女はそれを察知して気にかけるようになり、いつの間にやら僕に好意を抱く羽目になっていた。とか。
つまり彼女が僕に抱いているかもしれない感情は「申し訳なさから生まれる憐憫、母性」みたいなものである。
と僕は思うのだ。
つまりこういうことが言いたい。
僕がいる。女の子もいる。僕は彼女を好きかもしれない。彼女も僕を好きかもしれない。
でもどちらとも心から好きだと言ってるんじゃなく、
周りの環境、自身の理性、その他もろもろのしがらみに当てられた結果に、
双方とも勘違いめいた恋をしてしまってるんじゃないか。
だとしたら彼女に申し訳ない。せっかく好きになった相手がこんなへたれなのでは申し訳ない。
彼女はいい子だ。まれに見るいい子だ。
面食いの僕が笑顔が可愛いというだけで気になる女の子はそういない。
慢心したことを言っている気がする。でもその子の笑顔は死ねる。はにかんだ顔は死ねる。上気したほっぺたは死ねる。
もっと長身で、歌がうまくて、なおかつユーモア溢れる男が彼女の為に存在しているべきなのだ。
もしかすると、のろけみたくなっているかもしれない。両思いとも判明していないのに?
そうなのだ。ここが問題だ。
いまどきの女子高生ってやつは携帯電話でネットをめぐる。めぐるばかりかHPを作って日記を書く。
日記を書く。胸のうちをある程度、吐露し、友達からコメントをもらったりして楽しんでいる。
日記を書くのだ。コミュニティーを作り日記を書き鍵つきの掲示板で内輪話をするのだ。
思考をさらすのだ。なぜさらすんだ。さらしてしまうんだろう。
そしてプロフィールを書く。自分を事細かに書く。
ついったーめいたもので自らのリアルタイムを記載する。携帯電話でネットに流す。心のうちをぶちまける。
僕はそういうものの存在をギター侍がもてはやされていた頃は知らなかった。
だがおっぱっぴーが薄ぼんやりしてきた今は知ってしまっている。
彼女の日記を意図して探してしまった。好奇心にやられてしまった。
その頃は特に深い思いもなく探していた。
クラスメートの見えないところが顕在化しているものを見たくなったので探したのだ。
そうして探しているうちにふと気づいた。
あの子のHPもあるんじゃないか?
あさり続けて僕は見つけなくていい場所を見つけてしまったのだ。
なぜ告白したわけでもないのに、誰かのうわさを聞いたわけでもないのに、それを確信しているのか?
ここのところがこの恋愛における闇。おそらく僕が闇。
知らなくていいことを知ったままで、どうして不安定な恋愛なんてのができるだろう。
僕は彼女の日記を見た。内容から類推できるレベルで、僕は彼女の好意を確信してしまっている。
はっきりと書いてあるわけじゃない。だがそう断言してもいいほどに、書かれている内容がその答えを描いていた。
僕はこのような状況でどう動けばいいのだろう。
自分のしたことを知らぬ振りして突き通し、彼女に思いを伝えるべきなのか。
僕はそうしたい。でも良心はうずく。騙しているような気分だ。
現に騙しているといえるかもしれない。
何で書いたのか。楽になりたかったに違いない。なんでこう自分のことでも他人事のように書けるのだろう。
こんな自分じゃ彼女に悪い。とは思うがきっと言い訳なんだろうな。これも。
もう言葉はない。読んでくれたのに申し訳ない。たぶん反応を少し見た後に消す。
他の人にとっては消そうが消すまいが関係ないだろうけど。
諸君、私は小島よしおが嫌いである。
放送コードギリギリの挙動不審さで蠢く彼を見ていると、その無駄についてる筋肉を本物の熱湯で湯通しして、丁寧にむしり取ってどこぞの犬にでもあげたい衝動にかられる。
しかしながら、そんな私の思いとは別に、テレビで彼を見ない日はなく、「そんなの関係ねぇ」はついに流行語大賞を受賞してしまった。
世を構成する様々な「関係=リレーションシップ」を一刀両断で全否定するこの言葉は、一見切れ味が鋭く心地よい錯覚を覚えるものであるが、
その反面「神は死んだ」と高らかにニヒリズムを宣言することで19世紀という繁栄と安定の時代の終焉の到来を告げたニーチェの混乱を、
この21世紀に繰返す恐れのあるものである。
私は、この言葉の蔓延がもたらす未曾有のカタルシスに恐怖を覚え、小島本人への接触を試みた。
私「どうも。」
小島「ういー。」
私「彼方は、物事と物事の間の関係をことごとく否定して回っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
私「よろしい。例えば彼方が履いているその海パンですが、その海パンのメーカーとあなたに関係があるのは流石に認めるところでしょう。」
小「そんなの関係ねぇ。」
私「その海パンメーカーには沢山の人が働いていて、糸一本紡ぐのに石油の精製から海パンへの縫製まで、数多の人が関わり、
そして誰かが店舗に運んで、誰かが店舗に陳列したものを彼方が手にとって履いてる訳です。」
小「そんなの関係ねぇ」
私「私は、寧ろこの世の全ての物事には何らかの関係があるのではないか、とすら思っています。」
小「そんなの関係ねぇ。」
私「そして、其れが関係のないものと思えるのなら、そう思うほうが無知なのだととも。」
小「はい、おっぱっぴー。」
私「その『おっぱっぴー』ですら、私は彼方と何らかの関係がある言葉だと思っているのです。
例えば、何故『おっぱっぺー』ではなかったのか、『おっぱっぷー』ではいけないのか。
もっとも、彼方は此れを「オーシャン・パシフィック・ピース」の略だ、としています。
小「はい、おっぱっぴー。(白目を剥きながら)」
私「此れが英語として完全に間違いだということは今更指摘をすることもないと思うのですが、
小「はい、おっぱっぴー。」
私「私は残念でならない。何故、其処で『おっぱい』だと云わないのか、と。
森羅万象を『そんなの関係ねぇ』と言い切るのであれば、何故其れを無意味な混沌である現実に耐えつつ、
自らが現実の新しい意味であろうとする真に自由にして批判的な精神へと昇華していかないのかと。」
小「うぇーい」
私「うぇーい」
と云うことで、小島本人との接触を試みたが全く接点を持たないまま物別れに終わってしまった。
結局、関係という糸で繋いだ服は、裸の王様には見えないのであろう。
私は「イ」の字になって踊り狂う小島を残し、静かに冬の街を後にした。
歌詞おいとくよ
今すぐ会いたいの すぐにーすぐにーすぐにー
今すぐ会いたいの すぐにーすぐにーすぐにー
はい おっぱっぴー
例えばね とか
とか
とか
もそうだよねー
Come on everybody boys and girls
Believe in the sky, Please hangin' there
Just wanna love you day and night wanna be together
What can I do be happy 意味など知るもんか No!
にゃかにゃかにゃかにゃかにゃんにゃん にゃかにゃかにゃかにゃんにゃんにゃん
さっきの猫が取り憑いた にゃかにゃかにゃかにゃんにゃんにゃん にゃー!