はてなキーワード: 桜木とは
家を飛び出して今は漫画喫茶にいるわけです。
ちょっとここ最近、
一緒に住んで喧嘩して疲れるのなら、
一人の方が楽だなという気持ちです。
そこで「なぜ」を考えてみたいと思います。
「なぜ」を考えてぐるぐる同じことを考えてる時があると思いますがそこはご愛敬。
「私の気持ち」と「彼女の気持ちの」2つをスタートにしていきたいと思います。
というわけでまずは「私の気持ち」から。
なぜ私は疲れたかと考えると、
なぜ自分の気持ちを我慢して相手に合わせるのかと考えると、
例えば、「しんどい」「後で考える」「適当で問題ない」という言い訳。
プライベートな行動時は、深く論詰めて考えて行動したくないから。
ダメ男ですな・・・。
「バカなやつだ」と言ってこんばかりです。
なぜ彼女は怒るのかと考えると、
彼女に対して、喜ぶことをしていないから。
なぜ彼女に対して喜ぶことをしていないかと考えると、
一緒に住んでいると家族のように感じ、
私は「彼女はそこにいてあたりまえ」という気持ちになっているから。
うーん、独りよがりな考えなので、
自分勝手なこと言いまくってますねー。
彼女がこれ見たらなんて言いますかね。
まぁ、見せないけど。
もうちょっと自分の気持ちとか、現状を上手く考えることができれば、
今とは違った未来が待ってくれてそうですね。
さて、そろそろ帰りますね、家に。
http://anond.hatelabo.jp/20081027160514
増田のアフォさかげんにあきれ果てたので、上から目線で説教もどきを行う。
ひとつには、文学やろうとしてるのに、編集者がそんなもんだということをぜんぜん理解してない。
これが『ドラゴン桜』だったら桜木が偉そうに御講釈を垂れるところだ。
編集者ってのは、会社の従業員であっても、こと「本をつくること」に関しては独裁者。
「自分がいいと思うものを書ければいい」というならともかく、「本を出したい」のなら
「本を出してくれる人」のことを研究しないでどうする。
そしてもっと大事なのは、そんなに本を出したいなら、たとえばゲイの編集者をみつけて
尻を差し出すとか、その程度の狂気と紙一重の行動を示せと。
そのくらいの覚悟がないなら、ただでさえ厳しい本の世界、入ろうなどと思うのがそもそもの間違い。
弁護士の桜木先生が話も聞かず反抗する生徒達に強烈な一言を叫ぶ!
どいつもこいつもバカヅラばっか・・・
このままじゃお前ら一生負け続けるな
負けるって言ったのは騙されるって意味だ!
お前らこのままだと一生騙され続けるぞ!
その上で生きていかなくてはならない。
だがな・・・社会のルールってのはすべて頭の良い奴が作っている
つまりそれがどういうことかわかるか・・・
そのルールは頭の良い奴に都合のいいように作られてるんだ。
逆に都合の悪いところは分からないように隠してある。
それでも頭を働かせるやつはそこを見抜いてルールを上手に利用する。
みんな頭の良い奴がわざと分かりにくくして、
ロクに調べもしないやつから多く取ろうという仕組みにしている。
つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさがっていると、
一生だまされて高い金払わされるんだ。
この一言で反抗していた生徒達が一瞬にして静まりかえるシーンだったが
観ていた僕も静まり返ってしまった。。。
まさにその通りだと納得した。
世の中のシステム!
この言葉が恐ろしくも聞こえた。
確かに世の中エリートが特するように出来ている。
エリートという響きがカッコいいからではない。
エリートでないと一生損して、多くのお金を払っていかなければいけないからである。
僕が20歳の時1年だけある某自動車メーカーのディーラーで整備士として働いていた。
僕は整備士でありながら、何台か販売もした。
1台300万円以上の売り上げを上げて僕に入った手数料は3000円。
500万円の車を売ろうが800万円の車を売ろうが僕に入る手数料は3000円!
約0.1%以下である。
では残り99.9%はどこに???
ここには何の疑問も持たず3000円の手当てが付いたことに喜んでいた。
現実は車を売ったのは僕であり、その裏側では車を売ってもいないのに僕が売った
車の99.9%を分け合っている人間達がいる!
0.1%しかもらっていない事にも気づかず喜んでいる僕のような
しかし僕は気づいてしまった。
99.9%も分け合っているんじゃ、そりゃ豪邸も建つわ。とがっかりしたのを覚えている。
もし僕が自分で車屋を経営していたら、僕自身が300万円の車を販売したとして
僕の分の手数料に間違いなく小数点は付かないだろう!
同じ仕事をしても、立っている位置が違うだけでこれだけ変わってしまう。
学校の義務教育ではルールに従って働く教育は教えても、ルールを作る側にまわれ
という教育はしない。
個人個人が社会の中で気づかなければいけない。
しかしなかなかそこに目がいかないように、気づかないようにシステム化されている。
僕は当時出会った経営者にこう教えられた。
昇給や昇進にモチベーションをかけられ、疲れてきた時期にボーナスや大型連休が
あり、気持ちが入れ替わりまたがんばろうと思えるようになっている。
せっかく教えた技術や能力で独立されては困るので、毎月きれいに使い切ってしまう
分だけしか給料も払わない(それだけが目的ではないが)。なので独立資金もたまらない
ようになっている。
だから独立したくないわけではない、出来ないのだと・・・。
たとえ気づいたとしても、騙されてると思う人もいれば、これが世の中だから当たり前と
思う人もいるだろう。だから世の中のバランスが取れるのだと。
今思えばかなり恐ろしい全てがそうだと言わんばかりの大げさ過ぎる話だが、何も物を
知らなかった僕はすごく衝撃を受けた。
どちらがいいのか。
決められたルールの中で働くことに文句なく一生働けるだろうか。
僕はいいとして、結婚するであろう妻、子供、親を守るにはどちら側にいるべきなのか・・・。
”謙譲の美徳”という言葉があるように日本人は謙虚で控えめでいることが美しいとされてきた。しかしその時代の日本と今の日本はまったく違う。
美しさよりも現実で考えなければいけない。
ある本にこんなことが書いてあった・・・
”多くの獣が潜む夜のジャングルに裸で何の武器も持たずあなたと妻や子供、親と一緒に
放り込まれそこで生き抜いて行かなければいけないとしよう!
きっと誰もが不安と恐怖でいっぱいになるだろう。
そんな状況の中であなたは根拠ある自信を持って妻や子供、親を安心させ守りきれる
自身があるだろうか。。。
そんな時、強力なライフル銃と短刀を見つけた!
武器を手にしたとたん自信に満ち溢れ安心してジャングルを渡り裸では乗り越えら
ここで例えたジャングルを今の世の中だとすれば、ライフルや短刀などの武器とは
お金である。”
という内容だった。
誰かに決められたルールの中で働くことが決して悪いわけではない。
しかしそのルールが自分の家族や子供の将来、親の老後のことまでは考えられていない
ルールだったとしても、従い続けれるだろうか。
そう考えるようになったとき、独立を決めた。
恥ずかしい話ですが、僕は学力もクラスではビリに近いほど低かったし、たいした学歴もない。
親は学校に何度も呼び出され、出席日数も足りなくまともな就職先もなかった。
だから世の中のシステムを見抜きじょうずに利用するなんてことはできるはずがない。
できたとしても自分ひとりを守ることで精一杯。
だからルールを作る側にまわるしかなかった。
しかし、元がエリートではない分、スムーズに行かないことも多いし、うまく行くことばかり
ではない!
むしろ大変なことのほうが多いかもしれない。
しっかりした武器もまだないのかもしれない。
しかし多くの人脈や仲間が武器以上の最大の力になってくれている。
だから自信をもって進んでこれた。
世の中のシステム!
これを仲間とともに活用していきたいと思う。