私は子供の頃、食卓の大皿を残すことが許されなくて、食べたくもないものでも食べるよう言われていた。
その結果、当然太っていた。(実家を出たら元に戻った。)
なんか「幸せ太り」にも、そのような雰囲気を感じて警戒してしまう。
ちなみに、太ることが肯定的文脈で受け取られるのって、「幸せ太り」ぐらいしかなく、それも不思議に感じている。
幸せに在るなら太ってもよいのだろうか、と。
Permalink | 記事への反応(2) | 19:33
ツイートシェア
昭和の時代の、独身男は不摂生の極みみたいな食生活してるのが当たり前っていう時代にできた言葉なんだろ。 その文脈において「太った」というのは「食生活がまともになった」とい...
つ「焼け太り」