違和感を抱いている人の方がよくわからない。
王に相当する者の前に姿を現すなら、転じて王を選ぶ設定にしても不思議はない。
その際の仕草としてわかりやすいように「跪く」が採用されるのも頷ける。
麒麟に思い入れがある事に一定の理解は示すが、過激派が多すぎて十二国記自体嫌いになりそう。
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