2021-01-07

anond:20210107015637

人間が書いている以上、文章にも当然相性がある。

それは人間同士で好き嫌いがあるのと同じことでしょう。好き嫌いを論じるのも立派な国語能力の一つだよね。

で、読み手にかかわらず絶対的ものをいうなら、それこそ(記号論理学かになってくると思う。

個人的にはレトリックとか議論術みたいなのこそ国語には必要だと思っているのだが。

記事への反応 -
  • 今度、現代国語が論理国語と文学国語に分かれるけど評判悪いよね 国語好きは文学好きが圧倒的に多くて、論説文が好きで国語教師になろうなんて人はいないだろうし でも多くの人が習...

    • 評論とか論説とかって飽くまで「論理的」なんであって、論理ではない。 明らかな誤謬とかはともかく、大事なのは説得力のある文章の読み書き。 人を納得させる・感動させるというの...

      • 人を納得させる・感動させるというのは形式は違うが根は共通 この辺は苦労せずに国語が好きになった人だけが持てる感覚 数学が苦労せずに理解できる人の傲慢さと似ている

        • だからこそ、二つを分けるなと言っているのよ。 評論は論理だけでは読めないし、小説に論理がないわけでもない。 人を説得・納得させる言葉の術を学ぶ必要がある。 両者で多少形は...

          • うーん 納得したり感動したりってのは、どうしても文脈とか読み手によって効用に差がでてしまうんだよなあ 読み手にかかわらず絶対的なものと、読み手に応じて使い分ける相対的なも...

            • 人間が書いている以上、文章にも当然相性がある。 それは人間同士で好き嫌いがあるのと同じことでしょう。好き嫌いを論じるのも立派な国語能力の一つだよね。 で、読み手にかかわら...

              • 論理学は哲学の一分野であるが日本の初等中等教育においては道徳と倫理しかないため、論理学を習得し鍛える機会は国語科にしかないのが現状 言語を駆使した論理学は数理論理学と相...

    • 小説の問題、基本的に解釈が分かれるところは問題に出ずに 論理と修辞だけで解ける問題しかないよ ああいうのが解けない人種がtwtitterでクソリプしちゃうわけよ

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