ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏が亡くなり、追悼を強要された。
以前には元総理大臣の中曽根康弘氏が亡くなったときにも追悼を強要してくる人がいた。
世の中では偉大とされていても、人間には色々な思想があるのだから、必ずしも万人がそう考えているとは限らない。例え故人でも素直に追悼したく無いことだってあるんだよ。
その思いは人によって大きく異なる。
追悼の強要というのはそうした人の思想を大きく踏み躙る行為である。
追悼なんて物はやりたい人だけがやれば良いのであって、ゆめゆめ他人に強要することがあってはならない。
Permalink | 記事への反応(4) | 12:05
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???「あんな前科持ちの黒人のことなんかどうでもいいわ」
態度だけでもお悔やみの気持ちを述べるのって大事だよ 思いがこもってなかろうが関係ないんだから
そんなしょっちゅう追悼を強要されるってどんな立場よ お悔やみ述べなきゃならないくらい偉い人なのか
それがどんな人間であれ、どんな関係性であれ、人が死んだことに対してはひとまず悲しむべきだろう。 それ以上のことは、自由にすれば良い。 この世に生を持つものとして最低限の礼...