キャラクターはキャラクターであって現実の人間じゃないんですよ。
これは、「キャラクターを見て現実の人間の扱いに影響が及ぶ人」が現実としているかどうかとは別の問題。事実関係ではなく、責任の所在の問題。
「現実の人間関係、性差別などに嫌気が指してキャラクター文化に逃げる」人もいるのに、なぜ無視するんですかね? 生身の人間と向き合うことを強制される筋合いなんかないんですよ。その結果また差別されるんでしょ?
「人間が心地よく人間と戯れるために、キャラクターとの戯れに節度を持とう」って風潮糞食らえだわ。いい加減「人間が心地よくキャラクターと戯れるために、人間との戯れに節度を持とう」としてくれないかね。
なんの正当化できるコンテクストもなく、白人が黒人を痛ぶってそれを楽しむだけのコンテンツが「キャラクターだから」許容されると思うか? 同様に、なんの正当化できるコンテクス...
でもキモ
個のセクシャリティはそれ自体が「正当化できるコンテクスト」であるという価値観に早くアップデートできるといいですね。
正当化できるコンテクストというのは世の中そういうキャラクターもいるだろうという意味じゃないよ。 最終的に作品として見たときに、社会に受け入れられる価値観を提示しているか...
個のセクシャリティというのは「世の中そういうキャラクターもいるだろう」という意味ではないです。 フィクトセクシャルというセクシャリティをご存知ですか? ご存知でないなら今...