2019-06-14

anond:20190614101957

社会構成員とやらは社会に受け入れられるためになんのコストも支払ってないとでも?大なり小なり妥協をしている。つまり相互的に妥協している関係だ。自らは決して妥協せず社会を拒絶して自分が変わることを拒絶しているのならそれは社会構成員に対して一方的に隷従を強いていると言い換えることができる。

記事への反応 -
  • 拒絶されてきたから恨みがましい。これが順路。 「、他人から拒絶されるのは拒絶される当人の遺伝子が劣悪」とか言ってる時点で君は憎悪を生み出すだけのマシーンだよ

    • 拒絶された対象に適切な範囲で復讐するなら百歩譲って正当防衛(?)だとしよう。でも初対面の相手に恨みをぶつけたら負のスパイラルでしかない。実際、自分だって初手で恨まれたり憎...

      • 誰も「初対面の相手に恨みをぶつける」話などしていないよ。 だが敢えて乗るなら、それは認識が甘いと言わざるを得ない。 一人二人からの拒絶なら「個人」だが、接した人間の大半、...

        • 社会の構成員とやらは社会に受け入れられるためになんのコストも支払ってないとでも?大なり小なり妥協をしている。つまりは相互的に妥協している関係だ。自らは決して妥協せず社...

          • 違うね。 受け入れられたから妥協がある。コストがある。 拒絶には何の妥協もない。 妥協せず相手を排除している。 それこそ相手に特定のポジションを強いる、隷従を強いている。

            • 違うね 世の中には 妥協を苦としない人々 絶対に妥協できないマン がいる。 絶対に妥協できないマンは妥協できないがゆえに社会から排除される。 実際、社会から拒絶されないよ...

              • 違うね。 妥協されないから妥協のしようがない。 拒絶とはそういうことだ。排除とはそういうことだ。 妥協とは、関係の上にしか発生しない。

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