文脈で判断というのも、個人的な好き嫌いの集合と区別がつくのかよくわからない
「これは差別だ」「いやこれは差別じゃない」なんてお互いに理屈のつけようはある
じゃあ誰の判断を公的に、例えばこれはヘイトスピーチですやめましょう、と認めるのか
「DQNは差別用語」のケースのように、裁判所がそう決めたら従うべきなのか
「見りゃわかるだろ」と言い切れるものでもない
Permalink | 記事への反応(1) | 18:52
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