まいばんまいばん、かなしくてかなしくてきえてしまいたくなる。
まるいちにちいやだやめたいにげたいなにもしたくない、そうさけびだしたいくらいのみたいなきもちにふたをして、がんばってがんばってがんばってがんばってなんとかぎりぎりやりすごす。
でも、まいにちいちにちのさいごにふりかえっては、こんなしょうかじあいみたいにのこりのじんせいをすごしてくのはいやだ、ってとってもつよくおもうのだけれど、かといってどうすればよいのかはわからない。
おれがばかだからかな。
きっとそうなのかもしれない。
おれはだめだおれはだめだおれはだめだおれはだめだ。
きっともうえいきゅうにふっかつできないほどにそこなわれてしまった。
もうきっとがらくたでしかない。
でも、ほんとうはもともとうまれつきそうだったのかもしれない。
それをみとめることはほんとうにこわいことだ。
いっそきえてしまいたい。
かといってじぶんできえるだけのゆうきもないから、だれかにそんざいをけしてほしい。
でもただきえることだけをのぞみながらひびをすごすことにいったいどんなかちがあるというのだろう?
だれかおれをすくってほしい、ともおもうけど、きっとそんなかちはおれにはない。
だれかにめいわくをかけるだけ。
あすもあさってもしあさっても、だれかにめいわくをかけるだけ。