一見すると無茶苦茶なこの論理。
実は全くと言っていいほどおかしなことでもなんでもない。
自分が好ましくないと思っている属性を持つ者達が信奉する作品を好きになれないのは当然のことだ。
好き嫌いは感情だ。嫌いな者達が好き好んでいるものを好きになどなれるはずもないのだ。
これとは逆に、嫌いな作品だから、その信者が嫌いになるパターンもあるだろう。
結局はどちらも同じで、嫌いな作品・作者を好んでいる者達を嫌いになるという当然の感情が働いただけである。
鶏が先か、卵が先か。否、嫌いが先なのである。
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