『桐島』はあえて多く説明しないことで複数の読み方を可能にする技法を採っている。この表現法は映画に限らず小説だろうがアニメだろうが漫画だろうが古今東西に渡って散々なされている手法。
それを踏まえた上で、
と言うならそれを裏付ける根拠を提示してくれないと。何で↑みたいな表現技法を使っていたら映画じゃないの?理由は?一義的な読み方しかできない娯楽映画だけが映画なの?
────
>『桐島』を理解できないなんて、人として大丈夫?そんな風に聞こえてなりません。
これは確かにこういう奴もいるだろう。『桐島』はあえて上の表現技法を使っているんだから1つの読み方に固執してそれ以外を否定するような奴は頭が堅いとしか言いようがない。
最近『桐島』をみた。 見終わった感想は正直「( ゚д゚)ポカーン」だった。つまらなかった。 で。意味がわからなかったところに、ちょうどこの解説が出てきたので、読んでみました...
『桐島』はあえて多く説明しないことで複数の読み方を可能にする技法を採っている。こんな表現法は映画に限らず小説だろうがアニメだろうが漫画だろうが古今東西に渡って散々なさ...
感受性豊かな人は、いいでしょう。そーゆーのを感じて。 自分は、映画を単なる娯楽としか捉えてないんで、このような意見が一番押し付けがましいと思いました。 映画なめんな死...
頭使いたくないんだね。